直虎紀行…10月15日 放送分 近い?
☀️☀️☀️春の陽気に誘われて2023.3.3大河ドラマで現在人気沸騰中の本證寺。
門から市川右團次が出てきそう。
由緒あるお寺なんですが、お寺マルシェとかランニングイベントとか柔らかめなイベントがあり、今でも親しまれているお寺です。
どおする家康のドラマを見て、一向一揆に関心を持ち参拝させていただきました。
本堂が大きく立派で、ご住職も優しい方で御朱印帳を書いて頂きました。
駐車場も近くにあり、トイレも増設されており、ご年配の方も気楽に歩いて散策もできるかと思います。
ご近所のボランティアの方でしょうか、お寺の案内をされてました。
たいへん勉強になりました。
ちょうど今大河ドラマの舞台となっているお寺。
珍しい城郭寺院で周りに堀があり、石垣なく整備されていない箇所をみると歴史を感じます。
駐車場は細道を抜けた先に30台ほど設けられていました。
また御城印なるものがあるようなので記念にいいかもです。
三河一向一揆の中心となったお寺です。
大河ドラマ「どうする家康」では岡崎城下からすぐ近くのような印象を与えましたが、実際はかなり離れています。
安城というより碧南といったほうがいいかもしれません。
そのため自動車で移動しても20分くらいかかりますので、当時、馬に乗れた武士はともかくとして、岡崎城下から徒歩でここまで来た民たちは結構大変だったと想像します。
駐車場はお寺の西側にあります。
無料です。
臨時のトイレも用意されていました。
口コミの皆さんが言う通り大きなお寺さんではありませんでした が、私の友達が1人でよく行ってると言うので朝、行こう!と思い切って行って見ましたお堂に入れると聞いていたので、階段上がってお堂の扉を開け右足が入った瞬間!こんな事あるの? (ここには書けないけど)と 自分に問いながら前に進みました30分位すると男女が入ってきて写真を撮ってましたが私は そのまま座ってました(約1時間30分位)すると 和尚さんが来て声をかけてくれたのですがかなり 落ち着いて来ていました(私)その後 私の左胸と首から下の肩の重みがスーッと消えちゃったぁ〜!帰りに とある温泉に行き自宅へスッキリした気持ちで帰る事ができました。
2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」第7話は本證寺が舞台です。
ロケ地巡りの一環で2月に伺いました。
内堀の蓮の花は季節でないため枯れていましたが、梅の花はすでに咲き出していました。
蓮の花が観たいので初夏にまた伺います。
本堂の本尊 阿弥陀如来立像の近くに空誓さんがいるかもしれないと妄想に浸りました。
大河ドラマファンのために臨時駐車場が用意されています。
駐車場には仮設トイレも完備。
ありがとうございます。
別名/野寺御本坊、岡崎市の上宮寺・勝鬘寺と併せ三河三ケ寺の一つ、三河一向一揆の際は「寺院城郭」を形成し一揆の拠点となりました、中々の規模の寺内町❗️堀と鼓楼のある風情は、中々の趣きと昔の寺院城郭の一端が偲ばれます🤔
家康3大危機の1つと言われる三河一向一揆の中枢であった城郭寺院です。
寺院だけでなく周辺の散策も含めて巡る事をお勧めします。
私は此処はかなりヤバいぞって、テンションが上がって興奮してしまいました。
現代に残る日本の歴史的景観って近世の物がほとんどで、中世起源の景観って本当にレアだと思うんです。
民衆を救う事が大義となった鎌倉仏教である浄土真宗のお寺で、近世から現代に至る大きな政治・経済権力による大規模な土地改変がある程度少なかったと思われます。
堀の跡や地割り、自然の微妙な高低差等、解りやすい観光地ではないので、注意深く丹念に散策する必要があるかと思います。
浄土真宗の城郭寺院に相応しく、一向宗と徳川家康との争いの場となった正に城の様。
堀の蓮の花が美しい。
かつて三河一向一揆の拠点となった3つの寺の一つです。
堀の構えなど往時の面影を一番残しているかもしれません。
時期になるとハスの花がとてもキレイですよ。
とても立派なお寺さんです。
親戚がこちらの檀家ですので、私もたまにですが、一緒にお参りに伺います。
各地のお寺を巡っているという方もいらっしゃいました。
お堀もあり、季節によっては素敵な蓮を眺めることもできます。
駐車場も広くて分かりやすいです。
いつ来ても心が洗われるようです。
三河一向一揆の中心地だったところ。
ただのお寺と思いつつ立ち寄ったところ、ガッツリお堀で囲まれていて、立派な城郭を形成していて防御力も高そう。
これはお城ですね。
三河一向一揆の拠点となったお寺です。
国の指定史跡になっており、落ち着いた雰囲気を味わえます。
国指定史跡です。
城館遺構としても最高クラス。
鎌倉時代後期、慶円によって開かれたお寺だそうです。
なんだかお城みたいというのは私の印象は間違ってなかったみたいです。
城郭寺院っていうそうですね。
内堀は一部蓮が茂っており、蓮の花が咲くころには大変美しいのではないかと思います。
そして15世紀後半から浄土真宗の高田門徒から本願寺門徒に(いわゆる一向宗)に転じました。
このころから、三河地方の本願寺門徒における組織化が進み「勝鬘寺」「上宮寺」とともに三河三か寺とされます。
そして16世紀前半になると二重の堀と土塁が築かれ、城郭寺院とも呼ばれるようになりました。
2015年に土塁、堀など境内地が境内地が国指定史跡となり、2重堀のうち、内堀はすべて現存しています。
三河一向一揆へこの「本證寺」そして「勝鬘寺」と「上宮寺」は、三河における本願寺門徒の拠点でこの三河三ヶ寺、松平広忠(家康の父)の代に守護使不入の特権を与えられていました。
しかし、守護使不入の特権の上宮寺に家康の家臣が糧米を強制的に徴収しようとしたため一揆に発展したと言われているんです。
浄土真宗は阿弥陀如来を信仰さえすれば極楽浄土に行くことができるというものであったため、一向一揆は一気に広がり、農民や武士はおろか家康の家臣にも相当の信仰者がおりまた、そこに家康をよく思っていない領主なども加わり、三方ヶ原の戦いや神君伊賀越えと並び立つ家康三大の危機のひとつとして語り継がれる出来事でした。
三河一向一揆の拠点はこの「本證寺」、そして「勝鬘寺」「上宮寺」及び土呂の「本宗寺」でした。
約半年間にわたって戦ったといわれています。
「お寺から頂いたリーフレットから抜粋」三河一向一揆1564年いったんは和議が結ばれますが、家康からの一方的に出された改宗命令を拒否したため、坊主衆は両国から追放となり、建物も破却されたと伝えられます。
そして約20年の後、家康の伯母石川妙春尼の尽力もあって、一揆の罪は赦免されまた。
江戸時代になると、三河三か寺は、本山-中本山-末寺という本来の制度の中で中本山の地位を与えられ、末寺の取りまとめ役を担いました。
また、「本證寺」は領主や寺社奉公と配下の寺院とをつなぐ三河国の触頭としての役泡利を併せ持ち、幕末には200か寺余の末寺を有する大寺になりました。
今日の「本證寺」は江戸時代を通じて順次整えられたものです。
境内を水堀で囲み、堀に面して築地塀と石垣を巡らし、更に境内の隅に鼓楼(櫓としての役割も兼ねていたらしい)を配した、正にお城そのもののお寺。
車で来た場合、山門を車で通り抜け、本堂前の広場に駐車すること。
江戸時代に建てられた古い建物が多く、本堂は愛知県指定文化財、鼓楼、鐘楼、経蔵など他の伽藍は安城市の指定文化財となっている。
本證寺(ほんしょうじ)は、愛知県安城市野寺町にある真宗大谷派の寺院。
山号は雲龍山。
野寺御本坊とも呼ばれる。
上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られ、戦国時代には三河一向一揆の拠点となった。
こうした経緯から、鼓楼や土塁を備え、水濠に囲まれた城郭寺院(城郭伽藍)となっている。
また、書院は親鸞が泊まった際に、天井裏まで雨漏りがしていたのに、部屋までは漏らなかったという伝承が残されており、「雨もり御殿」と言われている。
城郭関係書籍などでは、本證寺城として言及されることもある。
「本証寺」「本証寺城」と表記されることもあるが、寺号の表記は本證寺が正式である。
寺域は約33,000m2である。
我が家はこのお寺の檀家ですので長いお付き合いです。
徳川家康の時代に出てくる歴史的にも価値あるお寺です。
若住職が新しいあり方を模索していらっしゃるようでいろんなイベントもやっていらっしゃいます。
歴史があり、蓮も美しく、心に響くお言葉もいただけました。
何度も通いたくなります。
浄土真宗のお寺さんはご朱印をいただけない所が多いのでがっかりなのですが、ここでは対応いただけます。
建物は大型の本堂とか、櫓のような鼓楼といい、いかにも真宗のお寺らしい構えですが、印象的だったのははりめぐらされた濠がかなり状態よく残っていて、いっそう城郭のようです。
三河一向一揆の拠点の一つだったというのも頷けます。
濠には夏にはハスがさくようですが、その頃またきてみたいと思います。
駐車場は山門をくぐり、境内に停めます。
ご朱印はここに車をおいて、一旦山門を出て少し先の路地を入った庫裏でいただけます。
三河一向一揆で有名なお寺です。
その昔のお堀であった寺を囲んでおり、季節になると蓮がきれいに咲きます。
境内に駐車スペースがあり、静かな雰囲気の中で写真撮影ができます。
歴史を振り返るもよし、花を愛でるもよし素敵なお寺です。
鎌倉時代の創建で、戦国時代に三河一向一揆の拠点となった。
本堂(県指定文化財)は、江戸時代初期に再建され、境内地(国指定文化財)は、堀を巡らした城郭伽藍と呼ばれる遺構が残り、全国的にも珍しい造りとなっている。
国指定重要文化財の聖徳太子絵伝をはじめ数々の寺宝も保存されている。
直虎紀行…10月15日 放送分近い🎵
蓮が凛と咲いています。
安城市南部にある国指定史跡、昔 一向一揆の三河地方の拠点になつた有名な寺院、堀に咲く蓮の花が心を癒してくれる歴史と伝統をこんにちまで伝えはぐくんでくれる安祥文化のさと です。
歴史を楽しむ「健幸市民」になつてみませんか?。
江戸時代の徳川家康のころの岡崎や安城の三河は一時代を語ってくれる…ここ本證寺が歴史の証人かもしれません。
三河一向一揆の拠点のひとつとして城塞化された寺院。
のち小牧長久手の戦い前後に改修され、その堀跡などが現在も残ります。
名前 |
本證寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0566-99-0221 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 5:30~16:30 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
大河ドラマで話題になっている寺なので昼食がてら行きました。
大樹寺と比べると小さかったですが、なかなか立派なお寺です。
戦国時代のときには、寺内町という町があるほど広かったそうです。
本堂などの建物は三河一向一揆で壊され、江戸時代にもう一度建てられて、それがそのまま残っているそうです。
堀の面影もあって、柵をつけたりしたらある程度の砦としては機能しそうな感じでした。
本堂の辺で、家康の小話をしている人がいて、なかなかためになりました。
蓮の花が枯れてしまっていた。
きれいに見える季節に行きたかった!