ちゃんと昔ながらの棒鼻がありました。
藤川宿東棒鼻は、東海道品川宿から数えて34番目の宿場、藤川宿の東の入口である。
歌川広重の藤川宿棒鼻ノ図に描かれた場所で、当時と同じように、宿囲石垣のモニュメントや立て札が設置されていました。
旧東海道の史跡探索で訪れました。
藤川宿は、東海道五十三次・37番目の宿場です。
現在の東海道R1市場町信号交差点を北西に約100m進み県道327旧東海道へ入るすぐ目の前にあります。
駐車できませんが宿中の藤川宿駐車場からは約250ḿと便利です。
東棒鼻とは東(江戸方)の出入口のことで、しるしに立てられた標柱牓示杭 (ぼうじぐい) =標柱や宿囲い(土を盛った石垣)があり浮世絵師の歌川広重が描いた「藤川棒鼻ノ図」で有名です。
その浮世絵の通りに復元・整備された藤川宿案内板のある綺麗に整備された休息所になっています。
しかし宿場の範囲の変遷によるものと思われますが、約Ⅰ㎞南東の舞木町阿形R1舞木町東信号交差点を北に入った旧東海道筋右側にも「是より西、藤川宿へ 是より東、赤坂宿へ」と記された案内板と木戸のレプリカがある休息所も所在します。
藤川宿の東のはずれです。
宿場町の境界を示す杭と道の両側に石垣を積んで土を盛った宿囲石垣が復元されています。
ここが宿場町の境界なので、大名が本陣に泊まる時には、本陣の主人がここで出迎えたそうです。
歌川広重の有名な版画「棒鼻の図」は幕府が毎年八月一日に朝廷に馬を献上する行列がここに差し掛かった場面をも描いたものです。
その図もこちらに展示されています。
この絵が有名になって藤川といえば棒鼻というぐらい有名になったそうです。
そういう場所が残っていてかつての姿を復元するのはとても良いと思います。
私の写真には写っていませんが、近くには藤川の名前の由来になった藤の木も植えられています。
岡崎市・藤川宿の東海道に〔棒鼻〕が再現されている。
棒鼻は棒の端で〔宿場のはずれ〕を意味する。
細長い〔榜示杭〕が建てられ、宿の境界を示し、従是西藤川宿(これより西、藤川宿)と書かれている。
歌川広重の東海道五十三次〔藤川・棒鼻ノ図〕をイメージして再現されたという。
基になった広重の〔藤川・棒鼻ノ図〕のプレートが埋め込まれている。
(⇒藤川宿 西棒鼻跡)
名前 |
藤川宿東棒鼻 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
愛知県岡崎市稲熊町8丁目 34°54'30.0"N 137°13'44. |
評価 |
3.7 |
ベンチと由緒書きがあるだけですが、そこから宿場が始まります。
道はクランク状に曲がっています。