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名前 |
一方井城(新館)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒028-4421 岩手県岩手郡岩手町一方井第13地割136−1 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
南部氏史跡。
2023年9月26日来訪。
別名輪台城ともいう。
岩手郡一方井郷を治めた一方井氏の本拠地とされる。
一方井氏は前九年の役で敗れた安倍貞任の庶流で安東盛季の孫が秋田から来住したものが始祖となったとされる。
1540年に石川高信は斯波氏侵攻の総大将として出陣し、雫石城から戸沢氏を追い、岩手郡に支配を広げたことから、一方井城もその頃に南部氏の勢力圏に組み入れられたと思われます。
1546年、石川高信と一方井丹後守安正の娘との間に、庶子として、南部信直が同城で誕生、13歳までここで暮らし、田子館に移り成人した。
北岩手郡の中でも最も有力な豪族であった一方井氏は、南部氏の岩手郡の支配確立に協力し、九戸の乱においても南部信直方として、さらに大坂夏の陣にも参陣している。
一方井城は、秀吉の南部氏に対する諸城破却令により、破却された。
城は、丘陵地帯の南突端部に位置し、南西に一方井川、北は山地、東は急斜面に囲まれており、三つの郭で構成され周囲に三重の堀を巡らせている。
信直公がここで生まれ育ち、その後激動の人生を掻い潜って南部藩を立藩されたのですね。