コロナで休館中母成峠から敗走してきた土方歳三様がこ...
この日は無人なのか受付に誰も居らず😅入口にお賽銭箱的な箱に¥400を入れて見学😃 同時に入館したおじさん達が幕末の事情や展示物を事詳しく説明してくれて十分楽しめたよ👍
400年前に建てられ参勤交代や戊辰戦争の本陣に利用されたそうです。
建物内部には戊辰戦争の時に付けられた刀傷、弾痕跡が無数にありよく焼失せずに残ってくれたと思いました。
立派なお庭もあり縁側に座って殿様気分になれます。
貴重な古文書や江戸時代の道具などが多数あり歴史好きには楽しめる場所です。
コロナで休館中母成峠から敗走してきた土方歳三様がここで松平容保公に合流。
援軍要請のため、ここから庄内藩へ向かうが。
1868年の会津戦争(戊辰戦争)で会津藩主松平容保が新政府軍を迎え撃つために陣取った場所。
建物に刀傷や弾痕が残っており当時の戦いの痕跡を残している国の指定重要文化財です。
母成峠の戦いで敗走した会津藩は猪苗代湖から繋がる日橋川にかかる十六橋の破壊を画策しました。
しかしながら頑丈に造られていたのが逆にあだとなり新政府軍の侵攻を許す事になります。
その結果滝沢本陣まで出向いて迎撃体制を取ろうとした容保も後退せざるを得なくなり、鶴ヶ城まで引く事となります。
改修工事が完了したのか見学できました。
会津戦争当時の刀傷や銃弾の跡など拝見できます。
受付のおばあ様も親切な対応。
会津藩の本陣、茅葺屋根が印象的。
旧滝沢本陣は狭いところですが、歴史好きの方は見所が多いと思います。
「昔はこんなところでこんな生活をしていて、ここで戦いの火蓋が切られたのか〜!」と思われると思います。
ただ、そういう事に興味が無い方は10〜15分程度の滞在時間だと思います。
ちなみにですが、私達は40分強居ました。
ここは国指定文化財・文部省指定史蹟で、会津藩のご本陣です。
戦いの時はもちろん、参勤交代の休息所としても使われていました。
また、戊辰戦争には大本営となり、松平容保が白虎隊に出陣を命じた場所です。
建物内には戦争の激しさがよく分かる、弾痕や刀傷が数多くあります。
それだけでもかなり興奮すると思います!旧滝沢本陣の造りはしっかりとした構造になっており、御入御門、御座の間、御次の間、ざしき、なんど、おめえ、にわ(土間)、湯殿、厠などが残っていて、東北地方最古民家として重要文化財に指定されています。
また、当時藩主が愛用していた数々の品や参勤交代の諸道具、400年間にわたる古文書が見られます。
特におすすめなのは遠州流庭園です。
とても綺麗なお庭です。
参勤交代で疲れを癒す空間としてとても良いお庭だなぁと思います。
大通を通らなくても飯盛山から細い道を通って行けばすぐに着きます。
入場料300円ということで、外部のみの見学にしました。
外側だけでもよくわかりました。
広くはないけど中身の濃い建物だと思う。
参道下の無料駐車場を通り越し、山に上る途中の左側に滝沢本陣があったので白虎隊の墓に行く前に見ることにしました。
一見、庄屋の家と納屋のような感じでした。
観覧料300円を払って中に入ると農家の土間、囲炉裏端など、到底殿様が宿泊する本陣のようには見えませんでした。
ただ戊辰戦争の際、藩士の本営として使われ、柱や壁に弾痕、刀傷が残っていて戦時のすさまじさを垣間見ることが出来ました。
藩主の参勤交代や土津神社参拝の時等休息所となった場所です。
また戊辰戦争のおり白虎隊がここからの出陣していった場所でもあります。
ここも戦場となり、御座の間や御次の間には弾痕・刀傷が残っています。
御座の間からは遠州流庭園を眺めることができます。
藩主は御座の間正面の御入御門から出入りしたようです。
別棟の名小屋、高札場も敷地内にあります。
白虎隊が出陣した場所で、お殿様が休息していた場所という事も有り歴史を感じられます。
戊辰戦争の舞台地で本物の弾痕や刀傷が柱や扉に有り、その痕が分かりやすく案内して有ります。
庭もお殿様が休息していた場所だけに風光明媚で中庭の木の紅葉が綺麗でした。
入場料にみあわない素晴らしい施設会津に行ったら寄るべき!
幕末の戊辰戦争の戦闘の跡が残る建物。
主屋は1678年の建築、本陣座敷は19世紀初めに建て替えられたものである。
戊辰戦争時には、藩主松平容保の出陣によって陣屋となり、座敷には当時の戦闘による弾痕や刀傷などが残っていて、柱を貫通した弾丸の跡を通して奥の柱の弾痕を覗ける場所もある。
これが本当の戦争の跡なんだと感じてしまう場所である。
主屋および座敷は、旧滝沢本陣横山家住宅(主屋・座敷)として国の重要文化財に指定されている。
白虎隊士が出陣の命を受けた場所。
彼らはどう思い、どう感じ、出陣して行ったのだろう?
東日本最古級の建築(創建は文禄年間)。
会津戦争時の弾痕や刀傷も生々しい。
The Japanese style house was a rest house for the local load, Mr. Matsudaira, in the Edo Shogun period, while they are traveling to the Edo. The house was a tactical front during the civil war at the end of Edo period.江戸時代、参勤交代の移動にともない、松平の殿様に利用されていた休憩所である。
戊辰戦争では、前線基地として機能した。
柱の刀疵、室内に残る弾痕などから、戦闘の様子が想像できます。
こちらへ来て、一気に戊辰戦争が身近に感じられるようになりました。
その他に蓑、草鞋、わらぐつ、糸巻きなど、昔の道具も展示されています。
戊辰戦争の際の刀キズ・砲弾跡が生々しく柱等に残ります。
内戦とはいえ、戦争の怖さ・悲惨さを今日に伝えます。
Pは数台しか置けません。
幸い数回伺っていますが、毎回駐車できてます。
近くにPあるのかなぁ?良い所と言うより、見学し色々考えさせられる場所ですね。
名前 |
旧滝沢本陣 |
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ジャンル |
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電話番号 |
090-7334-9277 |
住所 |
〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢122 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
白虎隊記念館から案内板に沿って辿り着きましたが、昔の生活の場を垣間見れる場所で落ち着けました☺️特に昔のお風呂やトイレに炊事場の感じなど参考になりました😀