同時に周辺の発掘調査が大々的に行われたらしいが。
昔の水路の痕跡。
北京の友人が水沢を訪れたときに連れていきました。
胆沢ダム建設当時に偶然発見され、同時に周辺の発掘調査が大々的に行われたらしいが。
初期的な周辺整備がなされただけで今は維持管理もロクに行われていないのであろう。
水路の隧道口は埋もれてしまっていて看板のみで確認出来るのみである。
以下諸用。
約500年前に水路をつくり、田んぼや生活用水に導入したという旧穴山堰は、戦後のほ場整備や石淵ダム建設に伴う導水量の増加によって新しい『穴山堰』にとって替わられ、地中にその姿を隠していましたが、平成4年に胆沢町若柳地内の土砂採取現場で突然2平方メートルほどの空洞が見つかり、それが旧穴山堰と判明しました。
その後、旧穴山堰の歴史的価値の検討がすすむ中、平成10年8月、胆沢ダムの堤体敷となる胆沢町若柳字馬留の旧穴山堰の埋蔵文化財調査により、馬留取水口、平堰(開水路)、昭和穴の出口、さらに武兵衛穴の入口である七左エ門口が発見されました。
以上のことから、平成11年1月には有識者、地域の人などによる旧穴山堰保全委員会(会長渡辺清氏)が発足し、春先から武兵衛穴を中心に調査が開始されました。
この武兵衛穴は、通称馬留岬といわれる所に岩盤をくり貫いて造られた断面積1.5平方メートルほどの素掘のトンネルです。
古い絵図面によれば、入口の名は七左エ門口、出口の名は武兵衛口とされており、途中には作業人や掘削土の搬出入口と思われる横番(横坑)が3ヶ所あり、延長は200間(約360メートル)となっています。
江戸時代の手堀トンネル用水路跡で胆沢ダムの工事で文献通り発見されました。
名前 |
武兵衛穴出口 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.8 |
この日は水が全然ありませんでした😣