中山道の旧道を辿って付いた宿。
長久保宿は、依田川と大門川との合流点から2.5キロメートルほど下流に位置していますが、そこは、蓼科高原から流れ下ってきた五十鈴川が依田川に注ぎ込地点の手前でもあります。
その一帯は峡谷が出会い、複合的な扇状地からなる高原盆地で、古くは長窪と呼ばれていました。
三郎山の麓から武石川と依田川の合流部まで7キロメートルにもおよぶ細長い谷間の窪地です。
長久保宿は長窪盆地の南端にあります。
この集落は、南北に流れる依田川の畔から東方にある笠取峠に上る街道沿いにあって、傍らを五十鈴川が流れています。
水量の多い渓流が合流して水量が増すために、長窪郷では頻繁に氾濫などの水害に悩まされてきました。
長久保宿も中山道開設当初の街並みが水害にあったために、より上の河岸段丘へと何度か移転しました。
宿場町開設当初、長久保宿は今よりもずっと西にあって河畔に位置していたようです。
水害の経験から宿場町は数次にわたって、河畔の低地からより上の河岸段丘へと移動してきたのでしょう。
昔から、この宿場で唄い継がれた長久保甚句をCD で聞くことができます。
現在は休館中です。
中山道歩きにとって貴重なトイレ休憩ポイントです!屋内に畳の部屋の飲食スペースもあります。
長久保宿歴史資料館は中仙道の宿泊町であった長久保宿の歴史を今に伝える資料館です。
かつて旅籠であった一福館を展示u0026保存スペースとして無料開放しています。
駐車場も隣に完備されていて長久保宿を訪れた時の拠点にもピッタリです。
長久保宿は難所の笠取峠に向かっての急な登り坂部分と和田宿方面へと方向を変えて進んで平坦部分の二ヶ所に広がっていて、珍しいL字形の宿場となっています。
峠越えの基地に加えて諏訪や上田方面への交通の要衝だった事もあり、重要な宿だったようで本陣であった石合家へはあの真田幸村の遺児であった「すえ」が嫁いだ先だったようです。
展示に真田幸村の書状等もありました。
幸村の血も脈々とつながっていたんですね。
地元の人たちの誠意と真心に感激しました。
他所者はナビで訪れるだけで一苦労でした。
展示室に見どころマップがあり、次の訪問先が見当出来て有り難かった。
お世話になりました。
【平成30年7月 初訪問】観光地化されていない宿場で、とてもいい感じです。
無料駐車場完備。
中山道の旧道を辿って付いた宿。
街並みに、何処か懐かしさを感じる場所でした。
真田幸村ゆかりの地。
幸村の手紙。
名前 |
長久保宿歴史資料館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0176-20-8700 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
静かな、身近な生活感のある資料館。
真田家ゆかりの土地でもあります。