思い描いた日本なのかと問いかけながらお参りさせてい...
西南戦争 田原坂の戦い 七本官軍墓地 / / .
田原坂の見学と併せての行ってきました日ノ本の将来の為にと命をかけた方々の墓所今の日本が、思い描いた日本なのかと問いかけながらお参りさせていただきました。
田原坂西南戦争資料館を見てからどうしても、近くにある七本官軍墓地が見たくなり、友人とともに初めてこの墓地を訪れることにした。
地元の人の適切な道案内で墓地は程なく見つけられたが、休日の好天で、広い駐車場には僕達の車が一台だけで……少し寂しくなった。
やはり、この墓地まで来るのは余程の歴史好きに限られるのだろう。
官軍は戦いに勝利したので、一人一人、戦死者の墓標がきちんと建てられていた。
整然と。
しかし、その数の多さは遠く異郷の地で亡くなった多くの若者の数を示していたのだ。
僕は一つ一つの墓標を見ているうちに、自然と首(こうべ)を垂れている自分に気づいた。
決して忘れてはならない歴史の姿。
墓地の入り口の左すみには、警視庁抜刀隊の戦死者の墓も建てられていた。
ただ、この間の熊本地震で、壊れてしまった、崩れてしまった墓標もかなり見られた。
何とか元の姿に戻して、これからも歴史を長く未来へ伝えてほしい。
向坂にて軍旗を奪われ戦死した小倉第十四連隊の河原林雄太少尉の他、植木・滴水・木留で戦死した兵士・軍夫・警察官が葬られています。
静かでのどかな感じですが、少し怖いです。
名前 |
西南戦争 田原坂の戦い 七本官軍墓地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
田原坂周辺には、明治10年(1877年)に激戦を極めた西南戦争当時の様子を物語る史跡が数多く残されています。
ここには、薩軍として戦い、戦死した熊本鎮台14連隊所属の河原林雄太少尉ほか、植木、滴水および木留などの戦闘で戦死した東京、大阪、名古屋、広島など熊本鎮台の兵士300余名が埋葬されており、墓碑には、階級、氏名、所属隊名、戦死した日、場所及び出身地などが刻まれています。