名前 |
沖の端浦海岸線跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
稲荷町の、二宮神社、長善寺が並ぶ曲線道路はかつてここが浦の海岸線であった名残です。
かつては現在より東を蛇行していた沖の端川の河口で、南はほぼ有明海。
この浦に漁船が停泊していました。
関ヶ原合戦の大功(落ちのびる石田三成を捕らえる)で、筑後一国を与えられ、柳川城に入った田中吉政が沖の端川を現在の水路に掘りかえた際、埋め立てられたと思われます。