名前 |
八谷搦干拓碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.3 |
江戸時代の佐賀藩は、干拓を盛んに奨励しました。
八谷搦干拓は、池田才右衛門、西岡幸兵衛と片岡清左衛門が発起人となって有田川・伊万里川の下流域の干拓地築造を、佐賀藩に出願しました。
藩は直ちに許可し、新搦役人として八谷善兵衛を現地に派遣しました。
着任後毎日腰岳に登り、潮の干満、風波の状況、潮水の流れ具合等を調べ、入念な調査と綿密な設計を行いました。
安永三年(1774年)に着工し、伊万里湾の中では最大規模(約160㌶)の干拓として、伊万里商人の資金による佐賀藩唯一の民間資本導入事業として難工事の末、天明五年(1785年)干拓地の築造を完了。
(ふたさとまるごと博物館3H22.10.10.より抜粋)