分かりますが、竈神社に何を祭ってあるのか説明があり...
村社 竈門神社 三井郡大刀洗村大字下高橋字内畑古賀祭神 玉依姫命、少彦名命、豊受大神、雷神、菅原神、罔象女神、神功皇后由緒 不詳明治六年三月十四日村社に定めらる祭神菅原神は字内畑出口に無格社天満神社として、祭神罔象女神は字柿添に無格社水神社として、祭神神功皇后は字中島に無格社宮地嶽神社として祭祀ありしを大正十二年六月九日許可を得合祀し、神社名を高橋神社と改称す。
祭神少彦名命は字内畑薬師堂に無格社五條天神社として、祭神豊受大神は字内畑屋敷に豊受神社として祭祀ありしを脱漏編入と同時に大正十三年五月十四日許可を得て字内畑薬師堂村竈門神社に合祀し又玉依姫命は村社竈門神社として祭祀来たりしを昭和四年五月八日許可を得て、無格社高橋神社に合併と同時に竈門神社と改称せり。
例祭日 九月十三日神饌幣帛料供進指定 昭和七年二月二十六日主なる建造物 本殿、幣殿、拝殿境内坪数 六百九十六坪氏子区域及戸数 下高橋区全部 一百四十二戸境内神社 天満神社福岡県神社誌 中巻ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー高橋城跡所在地 三井郡大刀洗町大字下高橋中世の豪族「高橋氏」の居城跡で、現在の竈門神社境内を中心とした一帯が城跡のようで、「木戸」・「溝口」・「屋敷」などの地名と、北・西・南を巡る堀が残っていました。
「筑後国史」には、「平城なり、縦五十三間、横二十五間、東に広さ三間の堀あり。
西にまた二つあり。
一つは広さ三間半、一つは二間の堀あり。
二の丸は縦四十三間、横二十間、東西に広さ三間、南に二間の堀がある。
高橋三河守鑑種祖先より続きたる采地の城なり。
鑑種、大友の賞によって筑前岩屋の城を賜りこれに移る。
」とあります。
(一間は約一・八メートル)高橋氏の祖は大蔵春実で、藤原純友の乱(九三九年)平定のてがらにより、上高橋・今・鵜木・下高橋を領地とし、当所上高橋城を居城としていました。
また、地名をとって「高橋氏」と名乗っていました。
室町時代の高橋長種には後継ぎがなく、豊後の戦国大名大友宗麟は、名家の絶えることを惜しみ、一族の一万田右馬助に高橋家の家名を継がせ、高橋三河守鑑種と名乗らせました。
其の後、高橋氏は居城を上高橋城からここ下高橋の地に移し、弘治年間(一五五五〜一五五八年)に筑前岩屋城に移すまでここを居城としていました。
境内に残る宝篋印塔は「高橋様」と呼ばれ、高橋氏ゆかりのものといわれています。
平成十一年三月三一日大刀洗町教育委員会境内設置説明板ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー三の鳥居嘉永五年\u003d1852年。
この場所には、高橋城という中世の豪族「高橋氏」の居城があったそうです。
案内板には高橋城址の説明だけで、神社については創建や御祭神などの説明はなく、詳しいことがわかりません。
平成31年4月25日 藤棚が綺麗でした。
高橋城跡、高橋官衙跡は、分かりますが、竈神社に何を祭ってあるのか説明がありません。
名前 |
下高橋竈門神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
癒やされます‼️