いつかお参りしたく思いました。
年末年始には本殿奥の3体の御輿が拝殿に飾られます。
宗像三女神、応神天皇、神功皇后を祀ってあります。
神社名の由来は、神功皇后が戦勝を祈願して太刀を奉じたことによるもので、境内にその石塚があります。
神功皇后にあやかって、後世武士の信仰の対象になったようで、天文17年 西暦1548年に肥後八代城の城主が願掛けをした石が、山田堰の水底で見つかり、恵蘇八幡宮の境内に展示されています。
祭神の神功皇后と応神天皇は八幡宮にはつきものですが、宗像三女神が祀られているのは不思議な感じがします。
823年嵯峨天皇の時代に宇佐八幡を勧請して出来たからのようです。
鳥居は厳島神社と同じ両部鳥居です。
規模は違いますが、珍しい形です。
(地元の方から 子持ち鳥居 というと教えて頂きました。
)鳥居前は2m以上の高低差があり、その昔、筑後川が近くを流れていた頃は、何かしら積み下ろしをして、水運の場として活用していたのではないかと思います。
千木を見ると男神であること、恵方盤があること、神紋が右三つ巴であること等から、もともとの御祭神は、博多櫛田神社の神様で、正八幡と言われる大幡主であったと思われます。
ご祭は、宗像三女神、応神天皇、神功皇后です。
この神社には、名前の由来の太刀塚があります。
神功皇后時代、神功皇后は人々を苦しめていた羽白熊鷲を退治され、土蜘蛛の田油津姫を討ち滅ぼしました。
その際に大庭村の上野原に軍勢を集め、太刀を奉納して太刀社を祀ったのがこの神社の起源といわれています。
天正15年、豊臣秀吉が九州平定の折り、兵火にあい社殿は消失しましたが、文禄元年に氏子中で社殿を再建されたそうです。
神功皇后伝承地土蜘蛛・田油津姫討伐前にこの地で天神地祇に祈り帯びていた自らの太刀を納めた(銘乙王丸)。
太刀塚として残る。
御祭神神功皇后・応神天皇・三女神この辺りでも珍しいのではないかと思うが、子持ち鳥居が筑後川や耳納山地を向いて建っている。
名前 |
太刀八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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元総代様のブログで紹介された絵馬を拝見し、いつかお参りしたく思いました。
その13 「抜刀の武士と髪に矢の女」は、須佐之男と櫛稲田姫と判断できます。
楊洲周延の浮世絵「八俣の大蛇」3枚続きの右2枚とほぼ一致しており、髪の矢は生け贄を表しているのでしょう。