何となく一般家庭のような本堂です。
新義真言宗のお寺、神明山東福寺。
円乗院の末寺なので、智山派かもしれません。
お堂の近くは、車と洗濯物で占拠されており、近づけませんでした。
新義真言宗。
江戸時代においては与野の圓乗院の末寺であったそうだ。
号は,神明山 東福寺とされる。
墓所から正和四年銘の板石塔婆が発掘されたこと,中世日本の宝篋印塔があることなどから,鎌倉時代創建の可能性が指摘されている。
また,廃仏毀釈により明治四年に廃寺となるも,檀家の尽力に依り昭和四十六年に再興されたという。
本尊は「木造如来形坐像」であり,これはさいたま市指定有形文化財となっている。
境内を観察する。
参道途中に宝篋印塔あり。
明和三年十一月健之銘。
台座三側面に漢文を陰刻。
これを読むに,「経曰 若人書寫経安置塔中者……(経曰く,もし人 経を書写し,塔中に安置せば……)」とある。
また塔身の正面上部にお経を入れたであろう四角い穴が確認できる。
宝篋印塔は墓石として使われることがあるが,これは本来の意味での宝篋印塔だった様である。
当時の人々は,宝篋印経の御利益が塔から村中に,まるでフィールド魔法の様に広がっていくイメージをしていたらしい。
その塔の左隣に不動明王坐像あり。
基壇の「西」とある面には「引又 大山」とある。
かつては志木方面と神奈川の大山方面に続く道があったのだろう。
他面には浦和と与野を示す文字があった。
台座に陽刻されているのは矜羯羅童子,滝,制多迦童子だろう。
天保十五年三月健之銘。
本道は入母屋造の妻入り…というよりも住居の玄関先の様に見える。
実際に人がすんでいる様だ。
六地蔵や庚申塔のほか、市の指定有形文化財の木造がある模様。
お寺自体が住居のようにもなっておるのか拝観は出来なかったため、木造も見ていない。
一度は廃寺になったけど檀家が再興したお寺さんで、何となく一般家庭のような本堂です。
鎌倉時代の木造の仏像があるらしいが、拝観できません。
お寺❓民家❓
東福寺の概要 真言宗寺院の東福寺は、新明山と号します。
東福寺の創建年代は不詳ですが、正和4年(1315)銘の板石塔婆を始めとして数多くの居板石塔婆などが残されていることから古くよりの存在が考えられます。
明治4年に廃寺となったものの、壇家の人々により昭和46年再建したといいます。
東福寺所蔵の文化財 木造如来形座像ー躯(市指定有形固定資産文化財) 阿弥陀三尊種子板石塔婆一基(市指定有形文化財) ~引用~ 東福寺へのアクセス 中浦和からは、徒歩5分です。
与野本町駅より3 . 2 kmです。
こじんまりした由緒ある寺院です。
本家ではありません。
お墓だけです。
この庚申塔は申が2匹ですね⁉
名前 |
東福寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.2 |
周辺のオススメ

仏像の説明しっかり書いていて良かった。