静寂な空間は、いにしえにタイムスリップしたかのよう...
最寄り駅 京王線 山田駅徒歩10分程 拝観料は無料本尊 本堂:地蔵顔王菩薩仏殿:弥勒菩薩臨済宗南禅寺派の寺院である。
山号は兜卒山(とそつざん)新編武蔵風土記稿によれば、康応元年(1389年)8月、大江広元の後裔である片倉城主大江師親が峻翁令山を招聘して創建したとされる。
ただし、この伝えには確証はなく、開基については他にも諸説ある。
一説には、大江師親の子道広の開基と言われ、また、「江氏系譜」によれば、大江氏惣領家(時広流)嫡流長井氏5代長井貞秀の次男長井広秀が康応元年(1389年)に開基したという。
寺域は十数万坪あったとされ、塔頭10か寺を有したが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐に際して八王子城落城と共に焼失した。
その翌年、徳川家康から15石の朱印状を得て再興した。
との事です禅寺らしく総門、山門、仏殿など一直線に配列されており山門も立派な建物です。
特に訪れる人を拒みはしませんが積極的に招きもしない状態で観光の為のパネルとかは特には無くひっそりと佇んでいます。
余り人が来ないので苔がかなり有り苔を傷付けないようにするのに注意が必要で歩く所は限られまが、佇まいや雰囲気はかなり凄い物があります。
臨済宗南禅寺派の寺院で、縁起では康応元(1389)年の創建とされる。
開基は、鎌倉幕府の政所初代別当の大江広元の後裔である大江師親と伝わり、山門や仏殿の屋根には大江家の家紋「一文字に三つ星」が記されている。
この家紋を見て、戦国大名、長州藩主の毛利氏を思い出す人もいるだろうが、これは毛利氏がもともと大江氏の出であることによる。
当寺は豊臣秀吉の小田原征伐に際して兵火に遭い、境内建物が焼失したものの、すぐ後の慶長年間に豊臣家重臣・浅野幸長の寄付により再興。
寛政4年(1792)には放火により再び境内建物が焼失してしまうが、文化~天保年間(1804~44)に建て直された。
ちょうどその頃に編纂された武蔵国の地誌『新編武蔵風土記稿』には、境内1万坪、寺領53万坪、塔頭40余か寺と末寺100か寺を擁していたと伝えられているように、当地を代表する寺院であった。
文化~天保年間に建て直されたという総門・山門・仏殿・鐘楼(附・銅鐘)はいずれも東京都指定有形文化財になっている。
また、境内は丘陵を背にして南に面し、仏殿・山門・総門が北から南へ一直線上に並び、仏殿東前に鐘楼があり、石垣で一段高くなった本堂・庫裏・開山堂が東西に接続している。
これは禅宗寺院様式の伝統的な伽藍配置であり、現代では貴重な景観といえる。
とても、赴きのある良いお寺でした。
全部木造で、中には文化財の物もありました。
掃き浄められた石畳、静寂な空間は、いにしえにタイムスリップしたかのようです。
風格、雰囲気が素敵な寺院。
雰囲気の良い禅寺です。
今年もしだれ桜がきれいに咲きました。
兜卒山伝法院廣園禅寺(とそつざんでんぽういんこうおんぜんじ)。
臨済宗南禅寺派の寺院。
Tosotsuzan Denpouin kouonzenji.(Buddhist temple)広園寺入口交差点に立っているので、この石塔側に曲がれば廣園寺に着きます。
風情があって、観光地化された寺社よりよほど落ち着く場所です。
四季折々、素晴らしい姿を拝ませていただけます。
京王高尾線から境内の杜が良く見えるので、電車の窓越しにその存在を知る人は多いが、実際に訪れたことのある人は少ないと思われる。
禅宗(臨済宗南禅寺派)のお寺で、東京都の寺としては境内は極めて良く整っている。
江戸時代末期からの建築物が残っているのも、都としては貴重。
靖国の桜の開花宣言ぐらいに見頃を迎える枝垂れ桜と、周囲のソメイヨシノよりやや開花が遅い山桜が見事。
枝垂れ桜は一般参観客には見づらい箇所に立っておりイマイチだが、仏殿の前に咲く山桜は樹勢、樹形とも見事。
日頃は電車から遠く眺めているだけの人も、興味と時間が合えば一度は立ち寄ってみる価値があると思う。
禅寺らしく、派手さはないけど、身が引き締まるような荘厳な雰囲気。
禅宗のお寺なので世襲ではありません。
檀家も無く修行の寺院です。
八王子でも1.2番の古刹でこの寺の門下僧は皆、徳のある僧侶になつています。
北条氏照や松姫が帰依した、朴山和尚も廣園寺の出身です。
何度も火事にあい、その度に敷地を切り売りして再建したため寺域も狭くなりましたが、庭には風格のある山桜や枝垂れも見ごたえがあり、毎年4月6日の開山忌には仏殿や奥座敷等が一般公開されます。
静かで落ち着く場所。
垂れ桜が満開になるのが楽しみです。
臨済宗南禅寺派の寺院。
禅宗ならではの伽藍配置。
とても静かで荘厳なお寺。
広園寺境域は都指定史跡。
総門・山門・仏殿・鐘楼は都指定有形文化財。
1390年に創建された臨済宗のお寺。
2度の火災により江戸時代後期に再建されました。
総門、山門、仏殿、鐘楼が都指定有形文化財になっています。
平成29年11月現在、改修工事中です。
広園禅寺は、屋根の改修工事で中までは入れませんでした。
素晴らしい雰囲気のお寺ですね。
ウイキペディアに依れば次の様なお寺です。
『新編武蔵風土記稿』[1]によれば、康応元年(1389年)8月、大江広元の後裔である片倉城主大江師親が峻翁令山を招聘して創建したとされる[2]。
ただし、この伝えには確証はなく、開基については他にも諸説ある。
一説には、大江師親の子道広の開基と言われ、また、「江氏系譜」[3]によれば、大江氏惣領家(時広流)嫡流長井氏5代長井貞秀の次男長井広秀[4]が康応元年(1389年)に開基したという[5]。
八王子一帯には高乗寺(長井広秀の開基か)や慶泉院(長井家の祖である時広の開基)など、臨済宗南禅寺派に属し、創建時期が近い寺もいくつかあり、武蔵国永井氏の祖と明記された過去帳も存在しており、長井氏(永井氏)開基ではあるが誰かを特定するには少し調査を要する。
長井氏から永井氏に変えたのは不運続く長井家が絶えずに永久に続くようにと願いを込め永井氏に変えたと口伝が残されている。
また、永井氏の菩提寺は慶泉院に集約されている。
[要出典]寺域は十数万坪あったとされ、塔頭10か寺を有したが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐に際して八王子城落城と共に焼失した[2]。
その翌年、徳川家康から15石の朱印状を得て再興した。
元禄10年(1697年)には、大火で江戸時代初期創建の山門を除き、全て焼失した。
その後、総門・仏殿・鐘楼が再建された。
私の清水中世史研究所の記事より抜粋しますので、参照しますので参考にして下さいね。
八王子市の南朝関連古文書「散田村開発記」と鈴木氏 「散田村開発記」は散田寺上の串田家に保存されていた古文書で、大正十五年串田家の親戚に当る小松茂盛氏がその写本を謄写刷りしたものである。
此書は自分家に申伝へあり享保度々古き仁達に聞置候昔の訳相調候分は皆記置也、御水張辺りに有所の字 の訳能に見合得心あるべし、六人の開発主の外は武士也、其の下々は平士足軽家来筋也 于時天保十三壬寅年二月寫え 散田村開発本説散田村は後醍醐天皇御宇元弘元年相模入道高時奢を極め内裏を蔑にし帝を配隠列京鎌倉との大軍起り大乱となり依之天台座主法親王大塔宮征夷大将軍と被為成候程の戦ひ也、其の時忠臣有之隠岐国より御帰参になり萬里小路大納言藤房卿近臣之故、帝之御附申被参候帰参の上伝奏も不行届世を見切遁世勅願所山田広園寺開山俊翁和尚之御弟子沙弥圓心被片倉城主永井備中守大江諸親は妹聟也藤房の子息を領分の内辺くまん笹の原中へ城主の力を以って切開き家作り、扶持米送り被遺候ての隠家也、場所は御制札の畑也其の後二十年も打ち過ぎ候所に小山判官殿は天皇の若宮御一方真言宗之座主御室之御所御守護にて御所水の御隠家となる。
其の節宮方之近き公家衆四人御つれ被成候。
此の四人の方は小浦、田倉、木下、谷合の御先祖也其の場所は峰尾は御所水を開き、谷合は正の目を開き、木下は黒木下を開き、上散田の小浦は上ノ開戸也、田野倉は椿開戸、笹原の所を各分けとり開発いたし候也、是を散田村六人の主人と言う。
片倉も広園寺も高氏の方にて軍役を致す也、此の六人は寺の且方也御所水は武将之事、ゆえに財宝もあり人数も被持候ゆへ俊翁和尚遷化の時葬礼惣奉行を被成御取持有之候に付寺の旦頭にて毎年三月六日開山堂霊前え詰居候て世話有之候先例也。
商人見世迄も支配有之候由…上散田川井淡路殿之事は山田広園寺境内に住居也、高宰明神は案察使大納言信房卿と申御公家也、京都に悪人の臣下有て賢異故に被憎候ゆへ終に配流と被為成杉山峠に配流あり、橋本の宿の上に御殿と云う所あり、片倉城主、広園寺境内へ引移し古座主明神を祭り也山田の鎮守とあがめ候、鈴木馬之助、川井淡路両人は忠臣之人達内へ附てまわり候、然る処に御寺も高氏十五代引続き軍役を勤め候に付知行を上げ次第に衰へ候に付山田を止て上散田の場末に来り則明神を古明神之所へ引移す、其の時より高宰明神とあがめ村内の鎮守とする也、引時は冨蔵と幸助との脇に道あり是を中打手を古明神に引候事也、神主は鈴木馬之助其後同人は散田を止て川原の宿へ引越川原の宿にて白山権現を祭り神主にて有り依之鳥居は今宿に有、今社は長房也、川原の宿を止て駒木野宿へ越し鈴木佐次衛門家是也、川原の宿は元長房也、設楽氏椚田村にする、当峰尾家は御所水より甲列え随身被成、信虎公の御行跡悪敷を見て不仕本国摺指之浪人其時子共衆三人あり、次男は案内や、三男は当所也、……以後略」
静かなたたずまいの禅寺。
境内には樹齢300年の桜の老木がある。
秋には曼珠沙華が咲く。
ただし、激しく除草剤をまいているので長居すると気分が悪くなる。
名前 |
廣園寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-661-7022 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
月一回、第一日曜日に市民座禅会がある素敵な禅寺。
座禅は午前中、朝7時から行われます。
何度かリピートしましたが、集中できるのでオススメいたします。
お庭もとても落ち着いた雰囲気で素敵です。
樹齢300年以上の樹木にも癒されます。
座禅会がない日も、ふと訪れたいと思えるお寺です。