名前 |
鶴見塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
近くには大規模な遺跡も有り、こちらも有力豪族の墓説が有るようです。
出来ればしっかりと調査して欲しいです。
お墓と一緒になっており、古墳とはあまり感じない場所でした。
以下引用させて頂きました。
鶴見塚古墳糟屋郡粕屋町原町4丁目「筑前国続風土記拾遺」の記述によると、全長80m級、横穴式石室の内部には石屋形と呼ばれる特徴的な石棺を備え、古墳の周囲には周溝が巡り、「帝陵の状」と称される前方後円墳だった、とあります。
(糟屋評衙 阿恵遺跡より)前方部と後円部の間は道路により切断されています。
すぐそばには、飛鳥時代から奈良時代の役所跡の政庁と正倉群の阿恵遺跡が発掘されています。
筑紫国造磐井の子、筑紫君葛子が”糟屋の屯倉”をヤマト王権へ献上したことから、鶴見塚古墳を葛子の墓とする説もあるようです。
※糟屋屯倉の関連遺跡としては、古墳時代後期の大形建物群などが発掘された、古賀市の田淵遺跡がその可能性があるといわれています。
また、粕屋町日守や阿江などは当時から豊かな穀倉地帯と考えられ、交通の要衝でもあるため可能性があるといわれています。
また、粕屋町原町区に所在する「鶴見塚古墳」が「葛子の墓」だとの言い伝えもあります。
しかし、いずれも確証はありません。