こちらも和洋混在の造りとなっている。
昭和十二年(1937)竣工の本館棟は敬一郎氏の孫・寛氏が建てたもので、モルタルの外壁に瓦葺きの屋根を備え、洋館とは趣が異なるものの、こちらも和洋混在の造りとなっている。
終戦後、昭和二十七年(1952)まで米軍に接収され、その後は長らく使われないまま、昭和五十一年(1976)に大部分が解体された。
現在は玄関や応接室、書生室などの一部が残されている。
その建物西側に、「鐵の記憶広場」を整備し、製鉄に関連する多様な素材を配し、解体されてしまった間取りをなぞるかたちで空間の記憶が表現されている。
ここからは、南側庭園や中庭、蔵を見渡すことができる。
(令和三年12月4日)
名前 |
鐵の記憶広場 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
高炉から最初に出てくる鉄で作ったという錆びたオブジェは、不思議なことに真夏に触れても熱くないそうです。
ガラス製のベンチもこの厚みと透明度を兼ね備えているものは他にないそうです。