白部山医王寺と正式に言うそうですが「慶性院」と呼ぶ...
癒されますね☺️お墓には父 母が眠ってます。
慶性院は先史時代から人びとが住み始めた狭山丘陵の大きな谷ッの一つ、現在は村山上貯水池の湖底に沈んだ石川の集落に創建されました。
丘陵からの湧き水を集めて流れる石川(前川)を前に、背面の丘陵部に白山大権現をまつる静かな地です。
創建時は薬師如来を本尊としました。
寺からは北に勝楽寺村、西に中藤村へと小径が通じていました。
大正12年(1923)村山貯水池の建設に伴い、石川の地を去り丘陵の南の現在の地に移転しました。
とても、温かいお寺さんでした。
ご住職にも御朱印を御丁寧にご対応頂き誠にありがとうございました✨
御朱印を頂きにお伺いしました所とても親切に対応して頂きました。
待っている間お茶と飴を頂きありがたかったです。
自転車で回っていたので本当に嬉しかったです有り難う御座います。
お世話になっております。
真言宗豊山派の寺院で、白部山医王寺と正式に言うそうですが「慶性院」と呼ぶ方が一般的なようです。
1600年代の開山で、今は多摩八十八ヵ所霊場41番、奥多摩新四国霊場78番の札所にも指定されています。
本尊は不動明王、そして境内には眼病平癒の利益があると言う薬師如来を安置する薬師堂があります。
更に立派な鐘楼や「大師堂」、東大和市重宝の水天像など境内には見るべき場所がとても多いです。
それなのに、当寺は元々は今の村山貯水地内にあったそうです。
貯水地建築により大正時代にここに移築されてきた歴史があるとの事で驚き👀‼️です。
パッと見は古い歴史有る寺院に感じますので大正時代の移築技術がとてもスゴイです❗
とてもいい御住職で、父の葬儀の際の説法で号泣してしまいました。
3月24日はお墓参りの人と法事の人とたくさん来てました。
2019/1/5拝受 真言宗豊山派。
多摩新四国八十八ヶ所霊場第41番札所の御朱印(本尊不動明王)を頂きました!境内には梅より早く咲きとても良い香りがする蝋梅(ロウバイ)が咲き始めていました。
大晦日に除夜の鐘をつきにいきました。
温かい飲み物やお菓子、火もあり、とても幸せに過ごせました。
鐘は20分くらい待ってうちました。
慶性院の方が気さくに話しかけてくれました。
家族で行くのもおすすめです。
隣に駐車場があります。
承秀(慶長6年/1602年寂)が開山となり創建したと云われています。
御本尊は不動明王です。
村山貯水池の建設に伴い、大正11年(1922年)、旧地の石川の里(上貯水池)から現在地に移転しています。
江戸時代末期に建立された水天像は、東大和市重宝です。
駐車場と駐輪場もあります。
元々は多摩湖の底に沈んだ石川という集落の北西側にあったお寺。
多摩湖の造成で現在の地に移転した。
門前に建つ石橋供養塔は、芋窪村のすべての橋の安全を祈願したものという。
そして門を入ると右側に庵があり、右から水天像、弁財天、庚申塔が収められている。
その他にも石像が多数ある。
こちらのお寺には、都内でも三基しかない水天像が、あります🙇次のお寺の移動中に青梅街道沿いを歩いていると、大橋の地蔵尊と言う当時の村人達により造立された、お地蔵様が、あります🎵付近のにより、手入れがされていました🎵
多摩八十八ヶ所霊場 第41番札所 (本尊)不動明王 (宗派)真言宗豊山派平成28年10月4日参拝 何処となく山寺を思わせるような佇まいで、住宅も少ないのどかな郊外に立つお寺。
かなり歴史を感じさせる本堂でした。
多摩八十八ヶ所霊場 第41番札所 (本尊)不動明王 (宗派)真言宗豊山派平成28年10月4日参拝 何処となく山寺を思わせるような佇まいで、住宅も少ないのどかな郊外に立つお寺。
かなり歴史を感じさせる本堂でした。
名前 |
慶性院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-561-1244 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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真言宗豊山派のお寺で白部山医王寺慶性院といいます。
御本尊は不動明王になります。
開基は室町時代後期の天文年間(1532年~1555年)で開山は安土桃山時代から江戸時代に跨がる慶長年間(1596年~1615年)頃と伝わり、一説では承秀(慶長六年:1602年寂)が開山となり創建したと伝わります。
開山以来永く三寶院の末寺でしたが明治二十九年(1896年)より奈良桜井の長谷寺(真言宗豊山派)に属しています。
山号である「白部山:しらべさん」は地主神として境内の鬼門に白山大権現を祀って伽藍鎮護を祈念したことに由来しています、また寺号である「医王寺」は薬師如来の異称である医王に由来しています開山当時の御本尊は薬師如来で現在は奥之院の「薬師堂」に祀られています、院号である「慶性院」は「慶長」と同義で国や国民の永遠の繁栄・長寿を心から願う意味があります。
慶性院は村山貯水池の建設に伴い大正十一年(1922年)に現在地に移転しています。