高麗家が代々住んでいた古民家。
髙麗神社神職の、住居、すなわち髙麗王の子孫の住居ということになるのでしょう。
また、髙麗王は、高句麗王族の一員とも目されており、その伝でいえは、髙麗王の末裔は、2000年以上の歴史を持つ、一族とも言えるかもしれません。
※高句麗建国は、紀元前1世紀頃。
高麗神社で行われる桜花祭の祭典後、こちらで幻の茶屋「沖の屋」が開店し、狭山茶と和菓子のセット300円を頂きながらライトアップされた枝垂れ桜を鑑賞できる「夜桜会」の日に伺った。
枝垂れ桜の巨木は圧巻。
祭典の直後(2022年は16:30頃)は高麗神社で茶菓子の販売がアナウンスされるので、一斉に人が流れてきてかなり混雑していた。
日が落ちた頃に行くのが良さそう。
写真は夜桜会の開催前(14時頃)で住宅内の席には入れなかったが、屋外の長椅子では自由に休めた。
駐車場にも十分な空きがあった。
日高市の史跡探訪書によると、この住宅は江戸時代初期の重要民家として昭和46年に重要文化財に指定されたとある。
高麗家は代々高麗神社の神職を務めた旧家である。
住宅の建築は慶長年間(1596年〜1615年)と伝えられている。
2022年3月25日ここのしだれ桜は3分咲き位になっていました。
ソメイヨシノより5日位早く咲く様です。
今度の日曜日位から見頃になりそうです。
高麗神社の神職を努めてきた高麗家の住居として、使われていたものです。
建築は17世紀後半(江戸時代前半)と推定され、東日本の民家の中では極めて古い建築です。
入母屋造りで屋根は茅葺きで、桁行七間半(14.3メートル)、梁行五間(9.5メートル)をはかります。
間取りは古四間取りという形式で、「奥座敷」、21畳の「表座敷」、「勝手」と「へや」、そして土間から成っています。
国指定重要文化財です。
高麗神社(こまじんじゃ)の神職を1300年以上、60代にわたり代々務めてきた高麗家住宅の建築年代は慶長年間(1596〜1615)で、様式から17世紀に建てられたことは確実視されている。
国指定重要文化財に昭和46(1971)年に指定。
3月29日行きました。
しだれ桜🌸は終わってました。
平日で、家の中は公開してませんでした❗
埼玉県日高市にある高麗神社の境内にある神社の宮司、高麗家が代々住んでいた古民家。
茅葺き屋根のいかにも古民家然とした住宅は慶長年間に建てられたそう。
慶長といえば江戸幕府が出来た頃ですから400年前から残っていることになります。
古民家でこれだけ古くから残っているのはかなり貴重で珍しく、国の重要文化財にも指定されています。
家の前の枝垂れ桜も立派で春には美しい桜が見られるんでしょうね。
高麗神社の裏、高麗家住宅の隣に枝垂れ桜が植えられています。
3月の中旬から下旬頃にはピークを迎え、たくさんの人が桜を見にやってきます。
高麗神社ともに人気の観光スポットとなっています。
駐車場はたくさんあります。
茅葺き屋根が雰囲気いいです。
枝垂れ桜もいいのでしょうが、紫陽花の季節もおすすめです。
中には入れないのですが、だいたいはわかります。
元々は高麗神社の神主の住まいみたいですね。
中には関係者以外入れません。
隣のしだれ桜とともに春には綺麗な姿を拝めそうです。
入り口近くには梅が咲き誇っていました。
越生梅林の帰りにたまたま見つけた場所でしたが、梅はこちらのほうがいい匂いしていました。
慶長年間の建てられたとの伝えがあるとのこと。
高麗神社の神職を代々務めてきた高麗家の住宅。
高麗神社のすぐ裏手にあり国指定文化財の住宅との事です。
代々、高麗神社の神職を務めていたのが高麗家との事ですが、その名字の通りに先祖は高句麗からの渡来人です。
この辺りの開拓を行ったと言う事で王を祀った高麗神社にも異国高句麗風の匂いがしています。
但しコチラの住宅は高句麗風なモノは一切感じさせずに、江戸期の民家の雰囲気そのままでした。
農具や内観もそうでした。
(住宅内には入れませんので外からの見学です)唯一の痕跡が入り口に貼られたお札(高麗神社のモノでしょうか⁉️)が異国を感じさせるモノでした。
高麗神社は参拝客で混雑してますが裏手の高麗家住宅はとても静かですのでゆっくりとした散策が可能です。
せっかくの古民家なのに白いパネルが存在感ありすぎて困る。
高麗神社のすぐ裏手にあるので、参拝後に見学するといいですね。
復元されたものとはいえ、貴重な建物です。
平成29年に当時の天皇と皇后様が見学された場所でもあります。
ここはいつも温かい空気に包まれている気がします・・・和みます。
今日は菊花展がやっていました。
高麗神社のすぐ裏手にある住宅で高麗神社の神職の方の住宅として慶長年間に建てられたものだそうです。
屋根は入母屋造で茅で葺いていました。
昭和46年、国の重要文化財に指定されています。
枝垂れ桜がきっと春には見事だと思います。
曼珠沙華の綺麗な時期に巾着田を訪れましたが、今度は桜の巾着田とこちらの住宅の枝垂れ桜を見たいです。
立派な枝垂れ桜があり、春はきれいそうです。
2019年4月1日撮影📷️毎年、観に来てます☀️前は中が資料館に成っていましたが枝下桜が満開の為だと思いますが?入っていく人はいません。
秋は、菊祭りもしますよ😆今年も迫力ある枝下桜でした。
高麗神社の裏にあるのね。
意外とココに気が付かず神社に参拝して帰る確率が高いかもね(=゚ω゚)ノ
2001年4月24日に高麗神社へお詣りした時に写した写真が、出て来ました。
其れが、高麗家の旧家でした。
高麗神社も素晴らしいです、もう一度参拝させて頂きたいです。
高麗家は高麗神社の神職を代々務めてきた旧家で、住宅は境内の隣接地にあります。
建築年代は、慶長年間(1596~1615)と伝えられています。
建築様式は古く、17世紀のものであることは確実であると指摘されています。
■国指定重要文化財東日本の民家の中では古い形を遺している極めて重要な例とされ、昭和46年(1971)6月に重要文化財に指定されました。
永年の風雪に耐えて伝えられてきたものの、傷みがひどくなっていたため、昭和51年(1976)10月から昭和52年9月にかけて、建物の全解体による根本的大修理が行われました。
現在の姿は、その修理工事の際に建設当時の姿を復元したものです。
■高麗家住宅の構造建物は茅葺きの入母屋造りの平入りで、その大きさは桁行七間半、梁間五間で長方形の平面をなしています。
間取りは、土間と5つの部屋で構成されています。
大黒柱(棟持柱)がなく、細い柱で梁を支えているのが特徴で、桁と柱には杉、梁にはケヤキ・松が用いられています。
手斧(ちょうな)や槍鉋(やりがんな)が使用され、全面的に丸みを帯びた仕上げになっています。
(wekipedeaから参照しました)
なかなか立派な古民家。
Google Mapでは高麗神社と離れて見えますが、神殿のすぐ裏ですから。
極めて私見で恐縮ながら、高麗王統と中国東北部、すなわち満州南部地域との由縁を鑑みれば、大和皇統と縁深い徐福の出自(稲作)との繋がりが想起され、∴大和皇統と高麗王統の相関由縁を感じずにはいられない、
高麗家の旧家の復元家屋。
中に上がる事は出来ませんが、古い家屋特有の懐かしさが有ります。
名前 |
高麗家住宅 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-989-1403 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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高麗神社神職の高麗(こま)氏(고마씨)住宅は江戸時代前期1600年代(17世紀)後半に建てられたらしい。
高句麗(고구려)の高麗若光という王族の子孫の高麗(こま)氏が代々神職を務めていた。
天智天皇の御世668年に高句麗などから逃れて来た人々(嘗て「帰化人」、現「渡来人」)やそれ以前から住んでいた朝鮮半島出身者が高麗郷などに集団移住し、若光王を祀った高麗神社がいまも存在している。