八代市 二見下大野 |
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名前 |
阿弥陀如来堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
阿弥陀如来堂梳阿弥陀如来堂はいつごろ建立されたのだろうか。
ご本尊の舟形光背の裏に書かれた記録によると寛永三年と 里は薄れているが読みとることができる。
寛永三年は西暦六六年で今から三六六年前に当たる。
第一〇八代後水尾天皇の世で三代将軍徳川家光が世の中を冷めていた時代である。
家光は家康の孫で日本を鎖国し外国との行き来を感じた。
この時代島原の乱が起こっている。
(一六三四) ご本尊の作者は解らないが、天変地異が起こったり病が流 行したときってのを払うという願いをこめて彫刻したにちがいない。
それから、毎月、村人はご本尊を信仰し守護されてきたので ある。
ご本尊の霊験あらたかで煎豆を年の数だけお供え願いをかけると赤が治るといわれる。
伝え聞いた近隣の人々が 参郎に訪れる。
ところが五年ほど前ご本尊がおられなくなっ たことがあるそうだ。
当時堂守りをしておられた山本嘉次郎 氏が気づかれ 村中の人々が近隣の町村を捜したところ、日奈久の湯(現西湯)におられたそうである。
連れていった人に問い正したところ阿弥陀様が、あまりにも優しく可愛いお顔をしていらっしゃるのでついいしょに湯にはいりたくて連れてとのこと。
そういえば本当に優しく穏やかな顔である。
よほど腕のある人が心をこめて彫ったにちがいない。
本堂は、記録によると文政再建とある。
(建物はこのままで茅葺きを瓦葺きにした。
)七一年のことである。
西向きに建立されるのが普通であるが本堂は東向きに建立されている。
東向きのお堂は希少であり、三聞くところによると日本中に三堂あるらしいということである。
お産が立されてから三六六年風雨に耐えてきたが傷ひどく、再建することとなる。
今年は閏年であり創建 のと合致したのも何かの縁ではなかろうか。
再建に至っては世話役(上野守義ほか)の方々のご苦労と町内の皆様のご 大工棟梁山本オ秀氏のご献身で平成四年二月めでたく施工することができた。
空とともに、風雨に耐え村人と続けてきた旅呆にも感謝し今とわに封入の守護を祈します。
平成四年二月二日 上野寺義山(由来解説より)