流鏑馬が年1回行われます見学されたら歴史を感じる。
歴史を感じる門や、阿吽像。
春を感じさせてくれる梅の花。
たまたまいらした奥様と話したところ、緑色の梅の花がおすすめとのこと。
写真を撮り忘れたが、人とのふれあいのありがたみを久しぶりに感じさせてもらった。
当家の菩提寺。
少し前までは街からちょっと外れた普通のお寺でしたが、最近ではこちらまで川越散策の足を延ばす方もよく見受けられます。
館跡の名残はありませんが、縁を語る標示物、河越山の號や木製の火消しポンプ(まだ、有ったかな?)一遍上人の成したことなど、時代に思いをはせる事はできます。
時宗のお寺。
義経の正室のお墓、供養塔があります。
時宗の寺院読み方は「ジョウラクジ」
桜満開になるともっと良いですよ✨
お寺の裏の墓地に川越城主だった大道寺政繁の墓があります。
とても立派なお堂あります。
是非とも!もちろんトイレもあります!
河越城跡の隣りにある立派なお寺、流鏑馬が年1回行われます見学されたら歴史を感じる。
夜桜の穴場です🎵
昔はこの辺りを河肥の庄といったそうです。
平安時代に秩父流平氏の者が移り住み荘園を築き、地名から河越氏を名乗ったそうです。
平氏の始祖は桓武天皇の曾孫の高望王とされ、桓武天皇は皇位継承から外れた皇子や皇女に❬平❭の姓を与え、与えられた者は朝廷の役職に就いたそうですが、曾孫の高望王も上総守護という役職に就き今の千葉県に下向、平上総介高望と名乗ったそうですが、任期を終えても都に戻らずに市川辺りに土着し荘園を築いたそうだ。
役職に就いた他の平氏は、ほとんどが一代限りだったそうだが、高望の子孫は高望に倣って荘園を築き、関東に勢力を広げていったらしい。
高望の曾孫が秩父に移り住み秩父氏を名乗ったのが秩父流平氏の始まりだったそうで、その分家には河越氏のほかに畠山氏・豊島氏・江戸氏・渋谷氏などがいたらしい。
この河越氏はほかの秩父流平氏同様に源頼朝の挙兵を助けたらしく鎌倉時代に勢力を伸ばしたらしいが、河越太郎重頼の娘が源義経に嫁いだことで鎌倉幕府では地位が下がったらしい。
源義経は壇之浦の勝利で平清盛の一門(頼朝の平家打倒は清盛の一族打倒だった。
何しろ頼朝に見方したのは関東の平氏の本家筋ばかりだったんです)を滅ぼしたものの、その後に勝手に朝廷から検非違使などの官位を授かったのが頼朝の怒りに触れ、鎌倉から追われることになったんですからね。
その時に嫁と息子は離縁だけで済んだが父親の河越太郎重頼は隠居させられ、息子が継ぐのは許されたが、それ以上に地位が上がることはなかったらしい。
時宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来になります。
河越重頼・源義経の妻、京姫のお墓があります。
隣の河越館跡城趾公園では、秋に流鏑馬も行われてます。
ごく普通のお寺です。
河越館跡史跡公園に隣接。
そもそも河越氏の館の敷地内にあった堂が発祥といわれる。
史跡公園での流鏑馬行事の際には当院から行列が始まり、住職も馬上に姿を見せる(弓を射るわけではないが)。
駐車場あります。
名前 |
常楽寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
049-231-1016 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
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北条氏重臣、御由緒六家の大道寺政繁殿が切腹した地です。
分かりづらいですが、墓地の奥に供養塔が建てられています。