都心に自然豊かなまま保存されています。
毎年10月の『東京都文化財ウィーク』には、普段閉じているフェンスが開かれ、内郭(主郭)に入ることができる。
これからも続けて欲しい。
かつては氷川神社、三宝寺などの敷地を含め、周囲には幾つか曲輪があったよう。
付近も散策してみて。
昔、戦隊ヒーローの戦闘シーンのテレビ撮影に使われているのを見たことがあります。
人気のいない早朝だった記憶があります。
昔は土塁をソリで滑ったり、鬼ごっこ、かくれんぼ、木登りなどして遊べましたが、立入禁止になりましたね。
不法投棄や花火などから環境を守る活動などだと思います。
これは良いことだと思いますね。
この辺りの自然状態は昔と変わらないため、久しぶりに訪れるとタイムスリップした感覚になりますね。
石神井城は豊島山に築城されており、三宝寺池がお堀の役目だったようですね。
石神井公園に城跡があるとは知りませんでした。
豊島氏が有していた城のようです。
詳しい方を講師に立てたガイドのようなものがあれば参加してみたいです。
石神井城はこの辺り一帯を治めていた豊島氏の本拠地で太田道灌に攻められ落城し、その後廃城になったそうです。
現在は石神井公園になっており、一部空堀と土塁が三宝寺池の近くにありますがフェンスがあり中まで入れない場所もあります(毎年、東京都文化財ウィークの時に特別公開され立ち入れるようです)石神井公園は沼地で水鳥を観察したり、遊具も充実して、さらには豊島屋さんという昔ながらの売店でカレーやモツ煮やラーメンなども販売しており家族連れで一日中楽しめる公園です!
石神井公園に初めて来ました。
石神井城跡と言うのがありました。
発掘は意外と最近なので驚きです。
石神井城は1476年の長尾景虎と乱の時に太田道灌に滅ぼされて、城主の豊島泰経は三宝寺池に馬に乗って沈み、娘の照姫もあとを追って入水したと言われている。
石神井城址碑がありました。
その先は三宝寺池です。
石神井公園内にある城跡です。
主郭部は常時非公開ですがたまに開放されて空堀や土塁を見ることができます。
公園は野鳥の森としても宣伝してますがカラスしかいませんでした(爆。
武蔵七党の秩父党豊島氏の本拠地である石神井城は石神井川と三法寺池を南北の壕として石神井の侵食した台地に築かれた要害です。
現在、石神井公園内の主郭と思われる場所の土塁、空堀のみ残され城全体の縄張りは不明です。
土塁や堀の跡が残っており、かつて石神井城があったことを偲ばせます。
通常柵で囲われ入れませんが、時々開放されるようで運良く見学できました。
所々に説明のパネルが置いてあり楽しめました。
遺構が良く残ってるって事らしいが立ち入り禁止で周りから見るだけ。
残念。
調べたところ年に一度、都の文化財ウィークの時なら入場できるみたい。
その時にリトライ予定。
石神井城の築城時期は定かではないが、一般的には室町中期頃であったと考えられている。
1477年のこの戦いにおいて、豊島氏は当主のとその弟はそれぞれ石神井城と練馬城に拠り道灌と対峙したが、同年4月13日練馬城を攻撃された後の江古田原の戦いで敗北した。
現在城域一体は開発が進み旧態は失われているが、土塁と空堀を廻らせた内郭が僅かに残っており、発掘の結果、折れを伴った堀・土塁によって城内が複数の郭に区画されていたことが判っている。
少し目立つ場所ではありませんが前方に池があり、よく鴨やアオサギが観察できます。
カイツブリの雛が孵りました。
殻を破って誕生した瞬間を撮影しました。
給餌の写真もupします。
ウグイスの鳴き声が良かったのでupします。
ウグイスの写真もupしました。
本当はサンコウチョウが昨日三宝寺池の北側に出たとの情報があったので出かけましたが今日はすでに通過したとのことでした。
残念。
城跡遺構の残りが素晴らしい。
伝説によれば、泰経様も照姫様ももう少し違う人生があったろう。
よくないのは、太田道灌様です。
いくら上からの命令とはいえ、他人の命を奪うのはよくないです。
聞く所によれば、大和市の深見城も攻めたと聞くよ。
もっと穏便に穏便に、話合い、話合い。
宜しくお願いします。
道灌様。
不思議な気を感じる場所でした。
ひぐらしが鳴いている夕刻にベンチに座りボーっとしてしまいました。
土塁は現在見ることができず柵に囲われています。
三宝寺池からあがり、左手に柵、その先は氷川神社入口(裏手)です。
木立は涼しくノンビリと出来ます。
名前 |
石神井城跡 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3996-3950 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
戦国時代前期の城跡だそうです。
お城や館は地形地理上重要な場所に造られるから後から増築されたり上書きされることが多いので貴重な遺構なんだと思います。