行き当たりばったりでスマホのマップに出てきた志村城...
東京都板橋区志村の神社です。
神社の中には幼稚園や保育園もあり、寺院が幼稚園運営を行う事は多いですが、神社が運営を行う珍しい神社です。
導きの神様として「八咫烏」が祀られています。
おみくじも引く事ができます。
通常のおみくじのように、大吉などの運勢ではなく、葉っぱにちなんだアドバイスなどが書かれた珍しいおみくじです。
志村の高台の雰囲気の良い場所でした。
1042年創建。
主祭神は伊弉冉尊、伊弉諾尊など。
当時の豪族であった志村将監が創建。
源頼義・源義家が奥州征伐に参加した際にこの神社で祈願を行いました。
1455年に千葉自胤が志村城に入ると、この神社は志村城の守護神となりました。
志村城が1524年に北条氏綱に攻められて落城して以降は志村地域の鎮守となりました。
現在の社殿は1957年に改築されています。
境内には古い絵馬殿と立派な木々が生い茂っていますよ。
熊野神社なので、さすがに八咫烏の提灯がかけられていました。
長い参道、境内は広くはありませんが、閑静な雰囲気は神聖でホットできました。
社殿も簡素ですが、質実剛健の感じが良かったです。
神社と城山幼稚園と同じ敷地内にあります。
いつも綺麗に整備されていて、緑が多く静かな佇まいです。
年末年始は参拝する人で賑わいます、今年も参拝してきました。
初詣→ほどほどの広さ、ほどほどの混雑で穴場だとは思います。
しかし2年続けて行かせていただきましたが去年も今年いづれも 縄跳びしてたり走り回る子供がいたり、立ち話のお母様方の集団があったり…神社というより公園状態。
情緒はまるでありません。
神社の方も注意しないし。
すぐ横が幼稚園だからかもしれません。
来年から行く事はないです。
何があるのかしらと期待しつつ、行き当たりばったりでスマホのマップに出てきた志村城を目指しました。
志村城山公園の急なスロープをえっちらおっちら登ると、頂上に城山熊野神社が。
このルートだと正面からではなく横道からのお参りになってしまいますね。
目指してきた志村城は、現在の城山熊野神社・志村小学校・志村城山公園一帯で志村氏の城館だったようです。
のちに武蔵千葉氏一族の千葉信胤が、赤塚城の支城として大規模改築して城郭にしますが、北条氏綱に攻められて落城、後北条氏の支配となり、豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡した際に廃城となったみたい。
神社の正式名称は熊野神社だそうですが、区別のために城山熊野神社や志村熊野神社と称されています。
平安時代に豪族の志村将監が熊野権現を勧請したという古社で、志村・小豆沢村・根葉村・前野村・中台村・西台村・蓮沼村の旧志村7ヶ村総鎮守だそう。
社殿の右手には江戸中期から後期の旧拝殿を改築して再利用した立派な絵馬殿がありました。
壁面や天井に所狭しと貼られた貴重な絵馬や扁額は、貴重な資料として板橋区の有形民俗文化財に指定されているそうです。
1900年に改築された当時の旧本殿も招魂社として残っており、たまたまお参りしたのですが、かなり見応えのある神社でした。
古くから災いを払ってくれる厄除けの神さまとして信仰を集めているそうですよ。
梵字が刻まれた石碑もかなりの年代ものみたい。
鳥居と志村城址の石碑は帰り際に見つけました。
御朱印は頂けるようですが、不在で頂けませんでした。
お城(志村城)の跡地にある神社で宮司さんは参道に隣接する幼稚園と保育園を代々経営されている人格者の方歴史もあり、城址跡となる高台の上にあるので、何時行っても気持ちの良い場所です駐車スペースもありますので、七五三や赤ちゃんの100日祝いのお参りも可能です。
平安後期の長久三年(1042年)創建,また,当地の志村将監が和歌山県の熊野より勧請したと伝わるそうだが,その根拠は良く分からない。
境内手水舎先左手に石造物あり。
文化七年十二月健之銘。
名主 大野 藤左衛門 吉住が,アイオイスギ二本,スギ六百三十五本を植樹・奉納したことを刻む。
しかしながら,境内には樹齢200年を越えるような杉の木は見当たらない。
後年,建築資材として伐採されたものと思われる。
なお,境内社叢が「熊野神社の樹林」という名称で板橋区指定天然記念物となっているそうだ。
社叢が武蔵野の面影を残す貴重な自然遺産であるとか。
社殿右手に「義勇消防解散紀念之碑」と題打った石碑あり。
消防の歴史に暗く,読んでも,「名主役と消防組の関係がよく分からない」「東京市に併合されると解散する理由が分からない」等々と疑問点が次々と浮かぶ。
なお,文中の龍吐水はおそらく絵馬殿に飾られているものであろう。
最後に,招魂社側の境内に板石塔婆あり。
全部で五基あるか(二基は欠片)。
右手。
阿弥陀三尊種子を刻む。
明應元年五月健之銘。
「宥尊律師」と陰刻。
中央。
阿弥陀三尊種子を陰刻。
大永六年七?月健之銘。
「権大僧都永尊」と陰刻。
側面に大正年間に発掘されたものとある。
左手。
永正十三年二月健之銘。
「アボ?ミ宥真」「剬?底与質多夰?同此」「中秘密謂心爲佛塔」などと刻む。
絵馬殿が良いです。
志村城跡にあり周りにはガウディ風の建築物は幼稚園で、その向かいには新築の保育園があり、隣は小学校ですぐ近くには中学校もあります。
また隣には旧志村役場跡地もあり、まさにいつの時代も中心的な地域であることが分かる場所です。
昔の志村城二の丸。
今は神社だが、空壕の跡など、当時の山城の雰囲気がよく残っている。
落ち着ける場所。
丘の上、保育園併設の神社で平日はにぎやか。
ちょっとした坂を登って清々しい境内に‼️奉納絵も見応えあるのでぜひ‼️夕方行くと子どもたちの声が賑やかで癒されます〜
5日に初詣をしました。
御札受け所とお焚き上げはいつも通りでした。
参拝客はほとんどいませんでした。
初詣、人出も少なく、密にならず安心してお参りできました。
歴史のある神社です。
普段は静かで落ち着いた佇まいですが、境内にある幼稚園は子供たちの歓声で賑わっています。
坂の多い板橋志村の丘陵の上に建つ神社。
地元の豪族志村氏が神社を招聘したらしい。
その後、千葉氏がここに志村城を建てた際にここを含めて城内鎮守にしたとのこと。
本殿の西側(左側)が窪んでいるが、城の空堀とのこと。
神殿の廻りに囲いがあり境内には神楽御輿、他の神様も奉られてます。
地元の神社という感じですが、歴史も古く。
ご利益もありそうです!志村城の二の丸跡に作られたそうです。
静かで、ゆっくり参詣して、神さまにお願いできました。
孫の幼稚園のそばにあります。
都会の中にひっそりとあります。
季節がら七五三詣りで賑わっています。
いつもは静かで風の通りもあり、休憩にはもってこいの場所です。
創建1042年の町の鎮守さま。
豊島氏一族の志村氏による築城の志村城の二の丸だった場所に現在の本殿が建てられたとされている。
(1590年廃城)志村三丁目の駅から向かうと城山公園が有りその崖地(法地)の石垣の山の上に有るため、城跡の面影が感じ取れる。
千葉氏が志村城に入った際には守護神ともされた。
現在も神社の敷地には当時の空堀が存在する。
(私有地の為注意)鳥居から参道を通ると境内右手には戦後すぐ昭和24年創立の城山幼稚園が有り鎮守さまが子供達を見守ってくれている様。
幼稚園には板橋区の保存樹第1号が有る。
左手には志村小学校が有りここに志村城の本丸が有ったとされている。
境内の案内板によると、ご由緒として、後朱雀天皇の長久3年(1042)、この地の豪族志村将監が紀州から※勧請(かんじょう)したと伝えらています。
※神仏の分霊を請(しょう)じ迎えること。
絵馬殿には、江戸中期から大正時代にかけて地域住民から奉納された絵馬、扁額、寄進札が保管されていて、区の有形文化財に指定されています。
神社一帯の樹林は、武蔵野の面影を残す貴重で多種多様な植生が見られ、「熊野神社内樹林」として、区の天然記念物に指定されています。
駐車場があります。
御朱印が頂けますが、最初に参拝した時は不在でしたので、お戻りの時間を聞いてもう一度行きました。
手水舎は鳥避けかネットが掛けられています。
汲み置きでした。
境内に志村城跡の碑があります。
2017/9/2拝受 絵馬殿の中の絵馬は珍しくて、とても貴重な史料です。
御朱印を頂きました!
境内は綺麗に整備・清掃されていました。
この社格では珍しい絵馬殿がありました。
立派な神社でした。
残念な事にGooglemapが間違いでした。
地点は合っていますが、入口の鳥居の場所が地図とは違います。
修正の方法がわからないのでここに投稿しました。
樹木が多く、心が穏やかになる神社です。
こじんまりとしていますが、立派な本殿です。
志村城跡に建つ神社です。
石碑や看板で説明がされています。
室町時代に千葉から逃れてきた千葉一族の居城であったそうです。
堀跡など、雑草がない時期であれば確認できるかと思います。
車で入る事も可能ですが、台数は沢山停められないかと。
名前 |
城山熊野神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3966-5043 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

志村城🏯跡地に鎮座し多くの社が境内社として祀られ、神楽の舞台まで用意されてる事から歴史ある神社なんでしょうね⁉️駅から神社までの昇り坂はキツかったです。
自宅で御朱印を用意してるようでしたが不在の為拝領出来ませんでした。