今年の11月30日まで改修工事中です。
東浦和駅から約10分くらいで通船堀に着きます。
のどかでベンチも所々ありトイレもあります。
気分転換に隣接するカフェで一息つく事も出来ます。
通りには江戸時代の水路奉行のお屋敷もあります。
観光地ではないですし、見栄えのするところでもないですが、歴史施設として、興味のある方には、見る価値あると思います。
駐車場等はないので、徒歩にて行くしかないですね。
見沼通船堀~芝川付近の今です。
歩くのにとても気持ち良いです。
只今工事中ですが、堀を歩くには支障ありません。
小学生の教科書に乗っているので、お子さんと一緒に行くと良いです。
他の川沿いもお勧めです。
芝川遊水池周りの散歩の際に見つけました。
江戸時代の、ものを運ぶ船を通すいわゆる運河的な役割とのことです。
段差を克服して船を通す仕組みで、当時の当地の繁栄を担っていて、興味深いです。
通船堀の歴史を事前に勉強していくことをおすすめ。
観光地ではないのでゆっくり散策に最適。
(写真説明)西側を流れる見沼用水から芝川にむかって歩いていくと昔に3メートルの落差がある水面をパナマ運河と同じ方法で調整して船を通した閘門式運河の遺構がみえてきた。
2ここで流れをせき止めて水面の高さを調節するのだねそれにしても予想してたより狭い。
3芝川まで進もう4芝川に到着。
川の流れが穏やかでまるで流れてないようだ。
見沼通船堀は、享保16年 (1731) に幕府勘定吟味役井沢弥惣兵衛為によってつくられた我が国最古とされる開門式運河です。
通船掘は代用水路縁辺の村々から江戸へ、 主に年貢米を輸送することを目的として、東西の代用水路と芝川を結ぶかたちで八丁堤の北側につくられたものです。
東縁側が約 390m、 西縁側が約654m ありますが、 代用水路と芝川との間 に水位差が約3m もあったため、 それぞれ関を設け、水位を調節して船を上下させました。
関と関との間が閘室となり、 これが閘門式運河と呼ばれる理由です。
この閘門をもつことが見沼通船堀の大きな特徴となっており、技術的にも高く評価されています。
通船堀を通って江戸に運ばれたものは、年貢米の他野菜、薪 炭、 酒、 柿渋など代用水縁辺の村々の生産物で、 江戸からは肥 料、塩、魚類、 醤油、 荒物などが運ばれました。
通船を行うのは、 田に水を使わない時期で、 初め秋の彼岸か ら春の彼岸まででしたが、 後に冬場の2ヶ月程と短くなりまし た。
通船は明治時代にも盛んに行われましたが、 陸上交通の発 達などによってすたれ、 大正時代の終わり頃には行われなくな り、 昭和6年の通船許可の期限切れとともに幕をおろしまし た。
見沼通船堀は、江戸時代中期の土木技術や流通経済を知る上 で貴重な史跡として国の史跡に指定されています。
また通船差 配 (船割役)の鈴木家住宅もあわせて指定され、 保存されています。
ジョギングの時いつも通るところです今日は桜の花🌸が満開でとても綺麗でした。
パナマ運河のような閘門式運河としては日本最古クラスのものだそうだ。
近隣出身者なら、郷土史で学ぶであろう場所。
子供の頃に社会科見学で訪れた記憶があるが、今回改めて来てみた。
だんだん関の復元されてきているようで、特にサイクリングロードの一部である東縁の整備状況は素晴らしい。
逆に西縁は緑豊かで、徒歩での散策向きかな?大昔、さいたま市〜川口北部にかけては見沼という巨大な沼があり、手付かずの湿地帯だった。
江戸初期に伊奈忠治が八丁堤を作り、見沼は貯水池となった。
更に後年、享保の改革。
新田政策の一環で八丁堤は破壊され、見沼は干拓。
その代わりに利根川・行田付近から見沼代用水(見沼の代用の水源だから見沼「代」用水)を引っ張ってきて、干拓地を中心に大規模な田園地帯となった。
これが見沼田んぼ。
その見沼田んぼから米を江戸に輸送する為、物流ルートとして代用水が活用された。
江戸に行くには、芝川→荒川→隅田川と経る必要があった為に作られたのがこの通船堀。
東浦和の郊外に広がる田園風景に残る運河は日本最古級の閘門型運河で国の史跡に指定されています。
現在はその役目を終えてひっそりと佇んでいますが、江戸時代の土木技術の高さを今に残す貴重な遺構ですね。
国指定史跡です。
江戸時代、新田開発のために見沼代用水が開削、上尾の瓦葦で東縁と西縁に分流され、それぞれ台地のへりを流しました。
また、用水路は江戸と武蔵国を結ぶ重要な水運の手段としても用いられました。
ここは、その水路の乗り換え地点であり、ここから下流の芝川と上流の見沼代用水を繋ぐ運河です。
当然、東西用水路の方が高い所を流していますので、芝川との高低差は3mほどあったらしいです。
そのため、閘門による水位調節を行って舟を通しました。
水路はだいぶ細く浅くて、「これで舟が通れるのかな?」と思いますが、時々実演をやっているようですので、これで大丈夫なのでしょう。
2020年8月20日 新型コロナ禍の影響で、遠出もできないので、かなり久しぶりに見沼通船堀・東縁を訪問しました。
以前との変わりように、ビックリしました。
添付した写真はすべて、現在の状況ですが・・・初めて訪れたのは1973年だったと思います。
この場所をもう少し北上したところに武蔵野線が開通し、貨物車を見に行っていました。
その当時の状態は、看板に乗っている写真「大正時代の八丁河岸」と同じような状態でした。
船はありませんでしたが、これくらいの川幅で鴨が8羽くらい泳いでいました。
その記憶とかけ離れていたので、ガッカリしました・・・--;
江戸時代に造られたインフラ。
見沼通船掘を散歩しているときに見つけたお花屋さんです。
ご自宅の入口脇に花小屋がありました。
自然豊かで歴史ある見沼通船堀。
春先は桜がとても綺麗な場所。
サイクリング方々、通船堀沿いにカフェもあるのでゆっくり歩いたり、田園風景をサイクリングで堪能して見ては如何でしょうか?
江戸時代の運河がそのまま残った西縁、復元されて構造がよくわかる東縁。
どちらも交通史、土木史に残る貴重な遺跡だと思います。
特に西縁は水路沿いに木陰の遊歩道が続いていて、心が落ち着く散歩コースです。
ここの猫たちは顔見知りで、ボスをはじめその子猫たちがいつの間にか親になっていて、子猫を連れて歩くようになります。
だから、いつも顔見知りですり寄ってきます。
特にビニール袋の音を聞くと一斉に家族全員どこからともなく湧いてくる光景が微笑ましいいです。
餌をあげるとより一層仲良くなれると思います。
ただし、休憩所近くのカフェの奥さんは店のお客さん以外は神経質な方のようなので注意が必要です。
餌を上げる場合は、少し離れた所で猫と戯れましょう。
堀の周辺は自然が多く落ち着きます。
通船堀自体はかなり小規模です。
歴史と風情を感じる水路。
竹林を吹き抜ける風が心地よい。
今年の11月30日まで改修工事中です。
日本古来のスエズ運河方式です。
5月13日、14日、緑区オープンガーデンで、通船堀沿いのバラがとても綺麗なお宅を訪問しました。
コーヒーとケーキをご馳走になり、楽しいひとときを過ごせました。
昔の人の知恵と土木技術の高さに感動します。
これを目当てにここまで見に行くほどのものではありませんが、付近はきれいな小川が流れる雰囲気の良い小道でした。
名前 |
見沼通船堀 |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-829-1723 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/005/001/001/p000146.html |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

JR武蔵野線東浦和駅から徒歩10分弱程度のところにあります。
1700年代から3mの水位差をこのような仕組みで乗り越えた技術に感動しました。
昭和初期まで使用していたことにもおどろきです。