東浦和散策中に立ち寄ったお寺。
清泰寺の墓地奥にあります。
東浦和散策中に立ち寄ったお寺。
武田信玄の娘というだけではなく、名君と名高い保科正之の乳母としても知られる見性院の墓所があります。
ここに立ち寄るまで見性院という名前も知りませんでしたが、このように手厚く葬られていることを見るに、江戸幕府に武田家の影響は少なくないのだなぁ、と実感。
アナ雪こと穴山梅雪の妻で、武田信玄の娘、保科正之の養母です。
門の奥にちらりと墓石が見えます。
武田信玄の娘、見性院が眠っています。
霊廟は壊れてしまったので門扉だけで残っています。
墓標も当初、ケヤキだったらしいが倒れてしまったので、後に墓石が建てられた様です。
清泰寺の墓地の奥手に安置されています。
墓所内には入れません。
名前 |
旧跡見性院墓所 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
〒336-0926 埼玉県さいたま市緑区東浦和5丁目18−9 |
評価 |
3.9 |
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埼玉県指定旧跡。
見性院は,武田信玄の次女,武田家を裏切った穴山梅雪の妻。
夫が徳川と内通していた因縁から,家康の開幕後はその保護を受けた。
また,秀忠の子である保科正之を養育したことで知られる。
死後,彼女の所領地が当地大牧村であったことから清泰寺に葬られたとのこと。
成長した正之は,会津藩に入部し,大大名となった。
そして,幼少期に世話になった見性院ために霊廟を建てたという。
しかし,それは後に逸失。
現在は門扉のみが残る。
墓石は,安政五年に会津藩により建てられたとか。
以下,観察情報。
門扉は,薬医門。
二つの葵紋あり。
墓碑左側面に漢籍碑文の様なものが見られるが,目が悪く,文字がほとんど読めない。
また,墓石手前に解説文が記載されていると思われる碑石がある様だ。
また,墓地に入る手前の桶置き場の隣に,昭和十一年六月健之銘の碑文がある。
維新後に旧会津藩士が参拝した旨等が刻まれている。