創建年代不詳、入谷村の鎮守であった。
一応 土地の神という事で 正月に行くがとにかく ショボい。
どうせ 建てるならもう少し ちゃんとした造りに すれば良いのにと思う。
他にも 神社は たくさんあるのでここ 居る?という感じ。
せめて 神社なら お守りの1つ位 売ってて欲しいかな。
古墳があったと説明板がありました。
下のように書かれてます。
入谷古墳については、文政五年(1822)徳川幕府が各地の村などを調査して作成した「新編武蔵風土記」入谷村の記録に「八幡社 塚上ニアリ。
土人白幡八幡ト称ス。
古岩槻攻ノ時、当初ニ幡ヲ立シヨリ、カク称セリト云」とある。
この地域は東京東部低地(足立区・葛飾区・江戸川区・帰宅・荒川区・墨田区)の北辺にあたり、足立区内でも最も早い時代(四世紀頃)に古代の人々の集団生活がはじまった場所の一つである。
毛長川沿岸には舎人遺跡・伊興遺跡・花畑遺跡などの多くの古墳時代の遺跡が確認されており、これらの遺跡とともに多数の古墳が過去に存在したことが知られている。
昭和四十九年、当地の区画整理事業に当り、予定ではこの塚の半分以上が削られるところであったが、地元住民の熱意によりこの塚が保存されることになった。
入谷氷川神社氏子総代が中心となり、計画を変更し保存に協力したのである。
現在、区内に残されている古墳は東伊興の白幡塚古墳一基のみとなってしまっている。
古墳の可能性の高いこの塚が保存されることは、きわめて有意義なことである。
創建年代不詳、入谷村の鎮守であった。
明治時代以前は八幡社で豊臣秀吉の関東攻めの時に白幡を立てたことから白幡八幡と称されていた。
一見普通の神社だが、古墳の上に社殿があるという神社です。
この辺りは古墳が多い地区ですが、こういう形は珍しいです。
御朱印無。
名前 |
入谷氷川神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
いつ行っても綺麗に整備されてます。
オナガやムクドリが居ますよ!