隠すかのように公園の隅に置かれた石碑いつかこの石碑...
隠すかのように公園の隅に置かれた石碑いつかこの石碑が無くなってしまう様な気がして心配でなりません。
極東裁判(東京裁判)で戦犯として扱われた人が投獄、処刑された場所です。
映画「私は貝になりたい」を見て興味が湧き訪れました。
監獄、処刑場の痕跡はなく石がひとつ置いているだけでした。
今は若者で賑わっている池袋でほんの数十年前に絞首刑が行われていたとは思えません。
歴史的、教育的に価値があるものなので、もっと整備した方が良いと思いました。
また、戦犯者を処刑した=反戦=左翼 という事で左翼、共産主義者のメッカになっているのがなんとも皮肉な話です。
土日は高い確率で集団が集まっていて異様な雰囲気です。
非常にひっそりと隠されたかのような場所に碑があり、恒久平和を願った言葉が書いてあります。
周りには池袋の商業ビルが立ち並び、ここだけ時間が止まったかのよう。
胸が締め付けられました。
そして、ここで戦犯とされて絞首刑にされた方々は、いかに無念だったろうと強く感じました。
歴史は勝者が創る。
東京裁判ではどのように裁かれたか、忘れないためにも、訪れていただきたい場所です。
土曜日ひと休みしてましたら、配給の、列でした。
複雑な、気持ちでした。
皆さん整然と列ってました。
高校生くらいのときにこのあたりはよく心霊スポットだといわれていました長年見た目は変わっておらず、一段下がって水もあるので、そういうのにはうってつけだし、サンシャインの影で日差しも入りにくいので夏でも涼しいし、暗いスケボーやってる人昔はいっぱいいた。
巣鴨プリズンの跡地で心霊現象も起きると言われているが如何ですか?昔はルンペンが大量に住んでいました。
巣鴨プリズンが巣鴨ではなく池袋にあったとはびっくりです。
夜だと、池袋中央公園の、一際暗いところに位置しているので少し不気味かも?日のあるうちに行くのがおすすめです。
公園の片隅にひっそりと石碑が立っています。
もう少し後世に伝えるように目立たせてほしい!大切なものだと思うので。
観察に来たところ、黒ずくめの女性数人が石碑の前でポーズを取り、撮影をしていた。
近寄りがたく、遠目に観察するにとどめた。
巣鴨拘置所は、東条英機らの刑を執行した場所として知られる。
他人の為に尽くし、他人の為に死んでいった人と想像します。
重責は課されたくないもの。
戦争についていろいろ考えさせられる場所です。
石碑に何も説明がない事にも何か意味があるのでしょうね。
アメリカや戦犯者への配慮を感じました。
現代の日本人はこの処刑された戦犯者に対してどう思っているのでしょうか?戦後70年以上が過ぎ、インターネットの普及とともに誰でも欲しい情報が手に入るようになってきました。
日本の歴史教育が間違っている事に気付いている人も増えてきました。
そうせざるを得なかった事情も。
歴史は客観的な事実から作られるべきものですが、時にそうならない事があります。
誠実さが取り柄の日本人にとって屈辱的な事かもしれませんが、これも「耐え難きに耐え 忍び難きに忍び」という事なのでしょう。
あの玉音放送の意味と共に、いつか正しい歴史教育がされ、先人たちの名誉と誇りが回復される事を心から願います。
もう少ししっかり作られた場所と考えてましたが、少しがっかり系。
戦犯の扱いの問題もあると思いますが、もう少ししっかり作って手入れしては。
戦争の悲惨さを考える意味でも。
第二次世界大戦後の、戦争責任を問われた戦犯が拘留された場所。
恒久の世界平和を祈り、石碑が建てられています。
日本のために身を挺して働き、戦争犯罪という訳の分からない事後罰というそれこそ違法と言える連合国の後出しジャンケンで罰せられた方々が収容された収容所跡です。
歴史的価値がある場所ですが、説明文など一切なく、ただぽつねんと碑があるだけです。
昼はサンシャインの喧騒に包まれて存在感が薄れていますが、夜はなんとも言えない不気味さがあります。
公園の喫煙所の片隅に半ば忘れ去られた形で佇んでいた。
公園の案内板にも「牌」としか書いておらず、この小さな公園の中にこのような牌があることを知る人はあまりいないのではないか。
東京裁判という不当なリンチを決して忘れてはならぬと思いを新たにした。
1948年12月23日、7人の戦犯の絞首刑が行われた場所です。
いまはそのおもかげもなく、平和な公園です。
近くにパスポートセンターがあることから、アジア旅行に行く前、立ち寄った際は、ちょっと複雑な気持ちになりました。
かつて、太平洋戦争の戦犯容疑者が収容されていた監獄跡です。
今現在はサンシャイン60が建ち、碑がある場所は猫ちゃんがたくさんいる公園に。
東京裁判で死刑判決を下されたA級戦犯の七名の方はこの場所で刑が執行され、その後は横浜で遺体焼却。
その後、遺骨の一部を米軍から奪還して、今現在は熱海の興亜観音と愛知県の三ヶ根山に遺骨が眠っています。
【遺骨が流れてきた経緯は以下】1. 東京裁判にて7名の方が死刑判決2. 1948年12月23日に死刑執行3. 遺体は横浜の久保山火葬場に運ばれる4. 興禅寺の市川住職、東京裁判で弁護を務めた三文字正平弁護士、久保山火葬場長の飛田氏の三名が、米国が彼らの遺骨を太平洋らにばらまくことを恐れ、米軍監視下のもと火葬場に密かに侵入して、遺骨の一部を奪還5. 近くの興禅寺に一時保管され、遺族との協議のもとで熱海の興亜観音へ移す6. 東京裁判で弁護士を務めた林弁護士が、愛知県の蒲郡競艇場の分配金をめぐる裁判にて活躍したことで、幡豆町の町長が三ヶ根山を案内してくれた。
7. 景色のいい物静かなこの場所は、七名の遺骨を安置するに適していると遺骨を持ってくる案を思い付く8. 遺族との協議のもと、1960年に興亜観音に眠っている遺骨の一部を三ヶ根に分骨この辺の遺骨にまつわる詳細は、「知の冒険 巣鴨プリズン」で検索した記事に詳しく記載しています!
第二次世界大戦後の東京裁判で死刑判決を受けた戦犯が収容された巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の跡地が、現在の池袋サンシャインです。
死刑が執行されたあたりが東池袋中央公園になっています。
公園内に慰霊碑「平和の碑」が残されています。
慰霊碑自体はきれいです。
公園は吸い殻入れが設置されているため、喫煙者の溜まり場とたり、いたるところで煙が上がったいます。
石碑まで行くにはそのゾーンを通らなくてはいけないため、わざわざ行くほどのことは無いかもしれません。
Elegant monument
正確には、A級戦犯者が収容されていた場所現在、公園風になっているところは昔の首切り場で、怨念があるらしく建物を建てたりができなくて公園として今に残っているところですサンシャインができる以前は近づくことはまずなかった、場所ですちなみに、60階展望台がオープンした日はキャンディーズの後楽園ファイナルコンサートの翌日でした。
戦犯者が拘留されてた場所碑があるだけです。
名前 |
巣鴨プリズン跡慰霊碑「永久平和を願って」 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
サンシャインシティには子供の頃からよく行っていたのに、となりに巣鴨プリズン跡慰霊碑があるのはずっと知らなかった。
戦勝国による、戦勝国の悪事を覆い隠すため、相手国を絶対的な悪者にしなければならなかったとでも言わざるを得ない不公平で不平等な東京裁判。
原爆が罪に問われないのに何故日本人だけが罪に問われるか・・もう証言できる人もほとんど生存しておらず、もうあの裁判の正当性を見直すことはないのでしょうね。
という無念の想いを胸に抱いてお参りしてきました。