ここに高校があった時の著名人の卒業生は鳩山由紀夫と...
東京都立小石川中等教育学校 / / / .
ここに高校があった時の著名人の卒業生は鳩山由紀夫と小沢一郎と内閣官房参与の高橋洋一さんですね。
卒業生です。
古い情報ですいません。
私の進路は誠之小→文京六中→小石川高校→東京農工大→農工大院です。
とにかく金がかからない進路なので、おすすめです。
変な私立よりよっぽど良いですよ!
とてもすごいです。
例えば生徒さんも感じよく、先生も教え方がうまいらしいです。
高校の時の卒業生ですが、とにかく嫌な、というより自分に合わない学校だなと思いました。
理系志望でもなかったのですが、3年まで理系科目全て、数学はⅢまでやりましたが、これは伝統のようです。
文系科目もほぼ必修でした。
こんなカリキュラムだったため、色々な科目の勉強が遅れてしまったなと思います。
小石川高校時代の話ですが、ここに通っている生徒は、実力も無いのにやたら自分たちはできる人間だと思い込んでいる生徒が多かったですね。
(当時の都立は私立に比べると大したことはなかったです。
)自分たちは小石川生だからイケてるみたいな(笑)優等生ぶってムカつきましたね。
嫌な学校でした。
中高一貫となり生徒のレベルも上がり、進学実績も上がっているわけですし、結果いい学校になっているのでしょうかね。
青春時代を過ごした母校。
当時は高校だったが、数年後に中高一貫校に。
立志開拓創作という校訓をもとに、生徒の自主性を重んじた高校でした。
校則というものは一切なく、私服。
部活に授業に行事にみんな自分でやると決めたことを全力でやる校風がとても良かったと思います。
今の校内事情は全くわかりませんが、良い伝統を持った学校であるということは自信を持って言えます!
大正時代からリベラルな気風と理化学教育を重視した教育が行われている名門校。
他校とは一線を画して、理科授業の半数以上が実験と実習、地学も含めて4分野すべてに専門教諭と専門実験室を完備する。
創立者は大正自由教育の実践者、伊藤長七先生で、立志・開拓・創作は彼が唱えた三校是として今も教育の柱になっている。
生徒は科学者志向の生徒が多いようで、実験や机上を超えた学びを欲する生徒には良い環境。
小石川高校時代のOBです。
現在では中学入試募集となりましたが、当時は高校入試かつ公立校ということで、多様な同窓生が在学していたことを記憶しています。
文部科学省から「スーパーサイエンスハイスクール」の指定を受けていた期間もあり、歴史的にも理数系教育に強い学校でもあります。
だからといって、文系科目の教育がおろそかではなかったですし、論理的思考力を養う教育方針は、おそらく今でも同様だと思われます。
一方では生徒の自主性を重んじる方針で、校則に関しても厳しかったという記憶が全く無かったです。
校是の「立志、開拓、創作」の精神が、現在でも引き継がれていることでしょう。
私自身の思い入れのある母校でもあり、現在では入学へのハードルは高いかも知れませんが、チャレンジをする価値がある中高一貫校です。
きっと充実した6年間の学校生活を送れることでしょう。
文化祭で訪れました。
都立なのに設備の整った素晴らしい学校です。
グラウンドも広いですね。
スーパーサイエンスハイスクール指定の都立中高一貫校、今は高校募集枠がない。
入学試験は2月3日、45分の適性検査が3つ、適性検査Ⅰは原稿用紙に作文をかく。
入試の得点の一部に小学校5年6年の通知表が使われる。
国語、算数、理科、社会、音楽、図工、家庭科、体育それぞれ25点満点の合計200点でそれを換算する。
募集枠は男女80名ずつ。
入試の結果発表は2月9日朝9時、校内掲示板とエンターネット。
在学経験があるが、校則は厳しくなく、先生は優しく授業も専門的でためになることが多い。
自分も今習ったことが役に立っていると言える。
英語に力を入れており、卒業に検定級が必要という難しさはあるが授業を受けていれば楽々で受かれる。
この高校は、昭和30年代には、東大への合格実績が、日比谷・西・戸山・新宿に次ぐくらいの受験名門校だった。
昭和35年・36年ともに、82名の東大への合格者を出し、全国ランクでも、日比谷・戸山・西・新宿に次ぐ第五位である。
まさに教育の本来あるべき姿がここにあるといえよう。
保護者の資力や年収が低くても、学力さえあれば、いきたい高校に行けるのである。
私も、もう10年くらい早く生まれていればよかった、と思う次第である。
ところで、都立第五中学にはもう1つの思い入れがある。
それは母方の叔父のことである。
母の話によれば、叔父の馨哲夫は、子供の頃から、ものすごく勉強ができて、「将来は五中にいくんだ」と言って、張り切って勉学に励んでいたそうだ。
ところで、母と母の二人の弟は、浄土真宗の寺院の出身だった。
そこで、戦争が激しさを増し、学童疎開が多くなってくると、お寺の家族がいなければならない、ということになって、叔父は掛川市に帰るはめになり、以後、戦後の混乱期に再上京することもかなわず、中学も高校も掛川の学校に通った、という 。
本当に戦争というものは、結局は日本人全体を不幸にしたのだなあとつくづく考える次第である。
行きたかった😢
母校です!校風に惹かれました。
先生方も親身に相談に乗ってくださり、今でも大変感謝しております。
旧跡を見た後は、美味しいもの食べよ!
名前 |
東京都立小石川中等教育学校 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3946-7171 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
校則がないと言う人もいますが、違います。
校外コンパ禁止という立派な校則があります。
これはかつて存在した硬式野球部員が校外で飲酒し都電の線路を歩き、死亡事故を起こしたためです。
なので校外コンパをしたい人はここに入らないようにしましょう。
硬式野球部が存在しないのも、こうした経緯で廃部になったためです。
野球をしたい人も他校を選ぶか、ここの軟式野球部で頑張りましょう。
以上は在学時代にここの卒業生でもあった担任の先生から教わった情報なので、多分正しいとおもいますが…