綺麗に整備が行き届いている神社でした。
鳥居をくぐるとマンション郡の谷間に佇むように社殿が見える御朱印は500円だがプレハブのインターホンを押しても反応はなかったまた来よう。
近くに住んでいるのですが、南千住の駅から浅草を通って上野広小路に向かうバスに乗るまで存在を知りませんでした。
この辺りは質の良い胡粉を作っていたそうで、境内にはその時の石臼がありました。
大変な作業だったそうなのですが、妥協を許さずに良いものを作り出していたんでしょうね。
なんとなく誇らしい気分になってしまいました(^^近くに住んでるだけなのに、すみません。
その他には道祖神が祀られているそうです。
安全な旅のご祈願ということで、芭蕉も訪れたのでしょうかね。
月参りに参拝しました毎月1日のみ配布御朱印が年始8種類通常2種類計10種類頂けます年始8種類には金文字、銀文字があり1枚500円書き置きです。
季節や月参りで多種限定御朱印を頒布される胡録神社に御朱印を頂きに参拝。
また境内末社の道祖神の御朱印も頂きました。
立皇嗣の礼限定御朱印は木に書かれてますので、しっかりと木の匂いがします。
毎月一日、月詣の限定御朱印(書置)が授与されます。
9時~13時、14時~17時。
普段は社務所に書き置きの御朱印が用意されているので、小銭の用意をお忘れなく…。
駐車場は裏手に停めれるのかな?と思うのですが、指示線の通りに駐車させるのは不可能なので、違うかも?
2020年3月、この日は朝からの雨でロードバイクではなく、電車と徒歩にて参拝しました。
最寄り駅から10分位の所にあります。
ひな祭りの限定御朱印をいただきました。
※私の評価は途中からではありますが、私如きが神社仏閣を評価なんてとんでも無いと思い基本普通の★3にさせていただいています。
清々しい場所でした。
キレイにされていて、地元の方に愛されている神社さんなんだと思いました。
この日の手水舎はお水が張ってありませんでした。
駆け足でサッとお参りされて帰られる方と赤ちゃんを遊ばせているお父さんを見ました。
御朱印は小さい引き出しが何段かの文箱に書置が入れてあり、横に小さい御賽銭箱が置いて有り一枚につき500円をそこに入れる方式になっています。
通常の書置御朱印には日付が空欄になっています。
ありがたい事に即位の令の日付入御朱印が2種(文字の色違い)木の台紙に書かれた物がまだありました。
即位の令の御朱印はご縁が無かったと思っていたので有難かったです。
毎日御朱印の直書きが出来なくても、何らかの方法で書置の御朱印対応を考えてくださるのもまた有難いと思いました。
永禄4年(1561)上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が川中島の合戦に敗れて、当地へ逃れて永住、面足尊、惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたと伝えられています。
1日の限定御朱印があるそうです。
ただし、御朱印の受付は14時〜16時の対応となります。
大嘗祭と即位例の御朱印もありました。
武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の戦から逃げてきた上杉側の人が住み着いて建てた神社という事らしい。
当時、謙信は長尾性であった。
この年に上杉家の養子となり、上杉の性に変わり、関東管領になった時でもあった。
同じ年に川中島の5回に及ぶ戦いの中で、一番大きな4回目の合戦が行われた。
その戦の後、何故か随分と離れたこの場所迄何人かで逃げてきたらしい。
当時のこの場所は、隅田川沿いの湿地帯で葦が生い茂っており、人が住める様な場所ではなかったと思われる。
ましてや、今の白髭橋辺り迄海であり、海と川に挟まれた所であった。
今の地形から考えると、隅田川沿いに三日月の形をした台地があり、外側を隅田川が流れ、内側は遠浅の入り江の様になって海水が流れ混んでいたのではないか思われる。
やがて、そこで取れた貝殻を加工することで生計をたてて暮らし始めた。
そして、この土地を守る為に神を奉る神社を建てた。
それがこの神社だった。
長い時を経て、今では高層ビルに囲まれてはいるが、今でもずっとこの町を見続けているようだ。
ご祭神は面足尊 惶根尊。
創建年は永禄四年 1561年と言われている。
開放感があっていい気持ちになる神社。
境内はしっかり清掃されていて、清潔感が漂っていた。
拝殿の真後ろにビルが無いから、空との対比が美しい。
南千住東側、再開発地域の中にある神社で周りは高層ビルが立ち並ぶ中にしっかりとその存在を確保している立派な神社です。
最寄り駅は南千住駅です。
名前 |
胡録神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3806-1673 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
歴史を感じる神社です。
昔は40~50メートル位奥の隅田川の近くにあったらしいです。