登録有形文化財に登録されている塀です。
国指定有形文化財。
江戸後期の文政年間(1818~1830年)に築かれたとされる。
築地塀とは,粘土壁のこと。
一般に格式の高い寺院・屋敷にあり,古くは郡衙などにも用いられた。
版築という工法で作られるが,これは非常に単純なもので,木組みの型枠の中に油・藁・砂利などを混ぜ込んだ粘土を流し込み,上から丸太などで叩いて空気を抜き,どんどんと層を積み上げていくものである。
なお,粘土とそれ以外の材料を交互に積み上げたものを「練塀」と呼ぶこともあり,また,瓦と土を交互に積み上げたものを「瓦塀」とも呼ぶ。
どうやら用語の整理はあまりなされていない様である(一応,「わが国における塀・垣類に係る伝統的工法の地域的な特徴に関する研究-土塀・石塀」という論文が分類を試みていた。
)。
石垣を台座にしているのが特徴か。
大正十三年(1923年)の関東大震災で倒壊した部分があり,その一部が修繕されている。
なんか新しいな,というところがそうなのだろう。
塀東端では,瓦がミルフィーユの様に積まれている。
余った瓦をここに集めたのだろう。
また,その裏手に小社がある。
土壁を供養するものか。
上野戦争の弾痕云々という情報があるがにわかには信じがたい。
谷中でも指折りの、寺町らしい場所です。
青空の下でもきれいですし、雨の日もまた風情があります。
写真の日は雨もよいだったのですが、とうとう落ちてきてしまい、みなさん合羽や傘を広げて帰路を急いでいました。
基本的には練り塀があるだけで、それほど面白いものではない。
あたり一帯はほんのりと滋賀の坂本(比叡山門前)のように雰囲気があるが、あまり大規模ではない。
散策のついでに。
以下HP引用観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰した後,文政年間頃に再興された。
築地塀は境内の南面を画する延長37.6mのいわゆる練り塀で,瓦と粘土を交互に積み重ねて造り,潜り戸一所を備える。
浅草と並ぶ江戸有数の寺町であった当時の面影を伝える。
観音寺を囲む築地塀(ついじべい)は土と瓦を交互に積み重ねて塗り固めた伝統的な土塀安上がりで丈夫だったため江戸時代の寺院に多く使われた。
彰義隊と政府軍が戦った上野戦争の弾痕が残ると言われる築地塀。
はっきりとこれが弾痕とは言い難いですが、多分これだろうという損傷がたくさんありました。
名前 |
観音寺築地塀 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
築地塀、ついじへい、と言うそうです。