秋月出身の島原の乱~太平洋戦争までの戦死者を祀られ...
垂裕神社(すいようじんじゃ)は、甘木鉄道 甘木駅の北東7.5kmほどの朝倉市秋月野鳥にある秋月城跡に鎮座しています。
旧社格は県社です。
主祭神は「垂裕明神」で、秋月藩祖の黒田長興(くろだながおき)です。
黒田長興は、豊臣秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛(如水)の嫡子である初代福岡藩主の黒田長政の三男で、福岡藩より5万石を分知され14歳の時に立藩しています。
安政6年(1859年)秋月藩第10代藩主の黒田長元が初代藩主の黒田長興の200周忌を迎えるにあたり、その功績を記念するため秋月八幡宮宮司・宮永保親に命じて京都の吉田家に神号授与を申請しました。
吉田家より『垂裕明神』の神号を与えられ、神霊を八幡宮の相殿に祀ったのが始まりです。
元治元年(1864年)八幡宮から秋月城内の仮御殿に移し祀りました。
その後、明治5年(1872年)から3年がかりで現在地に社殿を建設しました。
明治13年(1880年)に秋月城大手門(通称:黒門)を境内に移築しました。
なお、社殿の建設工事及び境内の整備は旧秋月藩士達が中心となって実施したため、参道の石段は「士族坂(さむらいざか)」とも呼ばれます。
昭和22年(1947年)歴代藩主及びその夫人・公子、島原の乱~太平洋戦争の戦死者を合祀しました。
神社の付近は秋月城下町として整備されており、観光地として有名です。
桜や紅葉の名所となっています。
神社のある「秋月(あきづき)」という地名は、かつての筑前秋月藩の夜須郡(やすぐん)秋月村に由来します。
明治22年(1889年)下秋月村、野鳥村が合併し秋月村が発足しました。
明治26年(1893年)秋月村が町制施行して秋月町となる。
明治29年(1896年)朝倉郡(あさくらぐん)秋月町と変更となりました。
昭和29年(1954年)甘木町・安川村・秋月町・上秋月村・立石村・福田村・馬田村・蜷城村・三奈木村・金川村が合併して甘木市が発足し、秋月町と上秋月村は消滅しました。
平成18年(2006年)甘木市・杷木町・朝倉町が合併して朝倉市が発足しました。
秋月城跡の脇にある神社。
正面の急な石階段を登るか、脇のやや楽な階段を登るか2箇所ルートがある。
ここは黒田長興を奉っている神社。
御朱印は秋月城の麓にある秋月歴思堂でいただける。
種類は豊富で通常版以外は書き置きとなる。
【月 日】2021年11月15日【駐車場】有り(公営)(私営)【トイレ】有り(公衆トイレ)🔷朝倉市秋月の秋月城に紅葉🍁を見に来ましたので、此方の神社にも参拝しました。
垂裕神社の境内内及び参道にもカエデ等が有りますが、日陰なのでまだ青葉でした。
神社は小さいですが良い神社です。
🔷参道横にももう1つ小さな神社が有りました。
コスプレイヤー達が、こちらの神社の桜の時期に撮影に集っている。
夜にも居たりして、楽しそう。
笑桜と苔むした石段、そして古く重厚な造りの歴史ある門が本当に美しい。
帰り際、駐車場の閉場時間だったらしく近付いて来られる坊主頭の男性が…。
どうやら、神社の神主様?の御様子。
優しい方で『気を付けて帰ってね!そこを曲がる時はぶつからんようにね!!』との御気遣いも。
御利益ありました。
名前 |
垂裕神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0946-24-6758 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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秋月城内にある神社で秋月藩初代藩主黒田長興公と歴代藩主、秋月出身の島原の乱~太平洋戦争までの戦死者を祀られている神社さんです。
秋月城の黒門と合わせて境内には楓の木が多いので、紅葉の時期は見事な風景が拝めそうです。