恥ずかしながら初めて来ました。
東武浅草駅から5分程バスに乗って墨田公園バス停で下車、墨田公園に向かって2分もあるくと道沿いの待乳山聖天さまの石碑のある角の脇直ぐに歩道に面して建っています角の横手の歩道の脇に面してひっそりとあるので見逃すほどです待乳山聖天さまへの石段を登って探してもそこにはありません碑自体は金属製の簡素なものです見学自体はあっという間に済みますから拍子抜けです待乳山聖天さまにもお詣りしておきましょう直ぐ近くに墨田公園がありますスカイツリーが大きく見えますからここで一息次はバス停に戻って池波正太郎記念文庫に向かうと良いと思います。
池波正太郎先生の生誕地の碑です。
待乳山聖天に有ります。
作品に、江戸風情が詳しく書かれているのは、この地に生まれ育つた先生の経験が基づいているのでしょうネ😊
池波正太郎生誕地碑は待乳山聖天のすぐ横にあります。
なるほど、小説の中に待乳山聖天をはじめ、下町の古刹がたくさん出てきて、しかもそれらが生き生きと描かれている理由が分かるような気がします。
池波先生の作品を読み始めてもう10数年ですが、恥ずかしながら初めて来ました。
待乳山聖天本龍院の横にありました。
待乳山の麓⛰
作中にもよく待乳山は出てきますね。
『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表し、美食家・映画評論家としても著名だった戦後を代表する時代小説・歴史小説作家・池波正太郎氏の生家跡地🌿🌿待乳山聖天宮横の公園の一角に池波氏のプラマイド写真付きの本をイメージした石碑が立っています🍀🍀🍀元々余りこの場所では住んでいなかった事が書かれていて貴重な彼の歴史を知れて良かったです🎶🎶🎶
待乳山聖天公園に石碑がある。
標識もある。
ホントに石碑だけですよ。
池波正太郎の生誕地は浅草「待乳山聖天」の南側、道路を隔てて少し入ったところ。
待乳山聖天。
(写真)大根がお供え物として入口受付で売っていた。
鬼平犯科帳などで有名な池波正太郎の生誕地碑。
池波正太郎は待乳山聖天のすぐ側で産まれたらしい。
昭和の代表的時代小説・歴史小説作家。
1923年(大正12)この地で生まれ、1990年67歳で千代田区神田和泉町において没。
美食家としても著名。
公園内にあります。
待乳山聖天下のこんなところで生まれるとは、やっぱり池波正太郎は、江戸を描く星の下に生まれたとしか思えない。
平成19年(2007)11月に建てられたものになります。
待乳山公園内に碑があります。
池波正太郎は、大正12年(1923)旧東京市浅草区聖天町61番地で誕生しました。
現在の東京都台東区浅草7丁目3番付近の「待乳山聖天」の南側にあたります。
関東大震災によりこのあたりは焼失してしまい、生家は残っていませんが、「大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は、私の心のふるさとのようなものだ」と記し、作品には待乳山の他、近くの今戸や橋場などをたびたび舞台として描いています。
たまたま見つけました。
鬼平もちゃんとみたことが無いので、機会があれば読みたいと思いました。
名前 |
池波正太郎生誕地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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鬼平犯科帳と言えば、火付盗賊改方長官の長谷川平蔵。
鬼の平蔵をここまで有名にした立役者的な方と言えば、池波正太郎先生。
氏の生誕地がここ隅田川に程近いところにある。
下町で生まれ育った環境が、犯科帳の下地になっている。