水戸街道と墨堤通りを繋ぐ様な位置になります。
東向島に有る商店街で、水戸街道と墨堤通りを繋ぐ様な位置になります。
平日に伺いました。
開いてるお店は、少なかったですが、昭和の雰囲気残る街の感じに、故郷の商店街を思い出しちゃいました😊
現在やっているお店はかなり少なそうで、狭い路地にある住宅街という感じです。
ただ、戦前からあるらしき建物は趣があり、昭和の時代を感じられ、タイムスリップしたかのようでした。
日曜日の昼間に行きました。
以前はお店もありますが今は少ないです。
音楽イベントとハロウィンはとっても盛り上がるし、車も通らないので、お年寄り優しい&と子供が遊べるのどかな雰囲気がいいです心暖まる感じお店の人はみんな優しいです鶏肉屋さんのお惣菜がめちゃくちゃ美味しい、絶品音楽イベント今年はレベル高かった!!毎年楽しみにしてます他の方が書かれていましたが、商店街なので店が開いてる時間は限られています夕方がピークですチェーン店ではなく個人でやってるお店ばかりなので、そこは理解してあげてください午前中の準備中の時間帯とかに来てお店がやってないって言われてしまうのは可哀想。
住宅が半分以上となり、店のほうが非常に少ない。
むしろ商店街の機能が発揮していないようだ。
昔の建物は少なくなった。
商店街としては、シャッター商店街となり寂しいが、今となっては都内でも珍しい建築が唯一残る下町。
ここだけでなく都内の昔からある商店街は段段とお店が閉鎖されて魅力がなくなって、結局大型スーパーに客を取られてまたお客様が減ってきています。
昔は活気ある商店街でしたが、今は仕舞屋が目立ちます。
ドラマの撮影に、たまに使われます。
昭和の頃には、映画館があって、怪獣映画を観た気がする。
ガメラとかギャオスと戦ってた。
凄い安い子供向けのもんじゃ焼の店が近くにあった、ビンのラムネを飲んだ。
ラムネと言えば、駄菓子屋のおばちゃんがビー玉の部分をポンと開けてくれて、下町っ子は、溢れないようにすぐに口をつける事が習慣になっている。
こぼすとアンタ下町の子じゃないねなんて言われたもんだ。
そうやって子供の頃からおじさんやおばさんから教えられた。
下町っ子なら経験あるが銭湯で泳いだり潜ったりして遊んで尻を手の後がつくほどひっぱだかれた。
今の時代じゃ考えられない事だろうが、そうやって社会のルールを学んだ時代だった。
この商店街を通るとそんな昔を思い出す商店街だ。
赤線地帯の名残とのことです。
狭い通りの両側にかつては店が盛っていたのだろうなと想像しながら歩きました。
住民の方々にすれば昭和の名残を懐かしむより街が新しくなったほうが便利だし快適ですよね。
楽しく歩いたが観光名所というほどではないような。
鳩の街といえば、玉ノ井と並んで、戦前戦後の東京の男たちを誘引した赤線・青線地帯である。
永井荷風やら、吉行淳之介などの作品にも頻繁に登場するわけだが、そもそもアカセン・アオセンって何か、若い人(って曖昧だが)にはわからなくなっているだろう。
要するに、吉原のような「公認」ではない、モグリもしくは当局黙認の売春地帯であるが、当方だって「知らない世代」である。
かつては、注意深く観察すると、当時の私娼窟のおもかげが残る建築(タイル張りの壁の二階家とか)が見られたが、このごろどんどん減っているようだし、住民も入れ替わって、まったくふつうの街になっている。
この商店街も、あちこち歯抜けになってしまい、繁華とは言えなくなっているが、各店で流行りのPayPayが使えたりする。
東武線や京成線の曳舟駅から10分程度ですが、向島周辺は東京大空襲をまぬがれたため、道が入り組んでおり行きづらいかもしれません。
昭和3年に設立された寺島商栄会から続く、90年近くの歴史を持つ古い商店街だそうですが、他の商店街のようにお店が続いているわけではなく、密集した住宅の合間に古いお店や新しいお店が点在している商店街です。
昔はもっと多くのお店があったのかもしれません。
ぶらぶら歩いていると作家の吉川英治さんの住んでいた跡があり、今は保育園になっていました。
井戸のポンプがあったりして、昭和時代を感じさせる撮影スポットが満載でした。
ガイドブックに80年以上の歴史がある昭和レトロ感溢れる観光スポットと紹介されています。
休日の昼過ぎに行ったせいか、店はほとんど閉まっていました。
お店は少なくて賑やかな商店街という雰囲気は無く、しもた屋(もとは商店で今はやめた家)が多いように見えました。
テレビのロケが多いそうですが、空襲に遭わなかったので、非常に狭い道が入り組んでいて、その点では戦前の街並みが残っています。
街の歴史的成り立ちは商店街から始まったのではないので、例えば戸越銀座や谷中銀座のような下町商店街を期待すると完全に違います。
スカイツリーからは徒歩で10分以上掛かり、水戸街道からの入口の道も狭くて見落としやすいです。
風情ある下町商店街。
大空襲を免れたので当時の道幅のままとか、空き店舗活性化などの取り組みなども実に興味深い。
この商店街にある自転車はたぶん日本一です。
(自転車売ってないけど。
)
戦後、カフェのあった街並みの面影があります。
◇鳩の街通り商店街とは…鳩の街通り商店街は、昭和3年に設立された寺島商栄会から続く、90年近くの歴史を持つ古い商店街です。
東京大空襲をまぬがれたために、通りの道幅は戦前のまま。
昭和初期からのレトロな商店と新しいショップがある個性的な商店街です。
◇昔からの伝統ある商店に加えて、近年では古い建物をリノベーションした個性的な新ショップも登場し、下町の隠れた観光スポットとして人気を集めています。
◇空きアパートを改装した商店街直営の創業支援施設「チャレンジスポット!鈴木荘」事業など、空き店舗活性化の取組みが評価され、経済産業省の「新・がんばる商店街77選」に全国から選ばれました。
鳩の街通り商店街振興組合理事長 松橋一暁墨田区向島5-48-6鳩の街通り商店街の歴史鳩の街通り商店街は昭和3年に設立された「寺島商栄会」としてスタートしました。
第二次大戦後、商店街に隣接していた歓楽街『鳩の街』の名前を取って昭和30年代に「鳩の街商栄会」となり、平成11年、振興組合の設立の際、現在の「鳩の街通り商店街振興組合」という名称になりました。
都電の終着駅のすぐ近くだったこと、また近隣に歓楽街があったことで賑わい、最盛期の昭和30年代~40年代には、水戸街道から墨堤通りまで約300mの道の両脇はびっしり商店が並んでいました。
しかし都電の廃止、店主の高齢化、大型スーパーの進出等、時代の波が押し寄せて、昭和50年代には廃業する店舗が次第に増え、店は一般住宅に建て替えられていきました。
現在、店舗数は40店程になりましたが、戦前から続く商店と、空き店舗をリノベーションして活用する新興の個性派商店が軒を並べる人気の商店街となっています。
「くにまる東京歴史探訪」2006年3月8日(水)放送分 今日は、吉行淳之介の小説「原色の街」の舞台となった、隅田川にほど近く、戦後栄えた「鳩の街」をご紹介します。
戦後、遊郭が栄えたのは1945年から1958年の売春防止法施行までのおよそ13年間です。
この時期に人気を集めた場所に、江戸時代からの歴史を誇る吉原、新宿、板橋などのほか、墨田区の「鳩の街」があります。
もともとこの近くにあった「玉の井」遊郭の業者が、戦災で焼け出され、どこか近所で商売ができないか…と物色したところ、すぐ近所に焼け残った適当な一画が見つかりました。
そこで早速、住人たちと交渉して買収し、閑静な住宅街が、たちまちステキな大人の社交場に変わってしまったというわけです。
営業が始まったのが、戦争末期の1945年5月、そして3か月後の終戦までに、実に数十軒からなる遊郭が誕生したと言いますから、人間の欲望の力には驚かされるばかりです。
戦後は垢抜けない住宅街の外見に大幅に手が入れられ、カフェ風のモダンなお店が立ち並び、道路も整備されました。
入口には「鳩の街」と大きく書かれたアーチが取りつけられ、温かい女性の肌を求めてやってくる男達を迎えました。
「鳩の街」は、ほかの遊郭と違って、素人に毛が生えたような女性が多かったそうで、そこが遊び慣れた男達の心をくすぐったようです。
マスコミにも大きく取り上げられたこともあって、全盛期の昭和20年代後半には押すな押すなの大盛況になりました。
永井荷風、吉行淳之介といった文学者たちも足しげく通い、荷風はここを舞台に戯曲「春情鳩の街」を書き、淳之介は、小説「原色の街」を書きました。
そして「鳩の街」といえば、忘れてはならない方が、もう一人。
この「鳩の街」で生まれ育ったのが、あの木の実ナナさんです。
窓を開ければ目の前が赤線という環境で育ったナナさんは、こどもの頃、よく赤線のお姉さんに遊んでもらったそうで、夜になると「仕事だから」とお姉さんたちは帰ってしまう。
しばらくすると、街の白いタイルにネオン管の灯りが浮かび、さっきまでとは別人のようなかっこいいお姉さんが立っている。
そんな姿を見ることでナナさんは「女性のカッコよさ」に目覚めたのだそうです。
当時の「鳩の街」がどんな場所だったのか。
先程名前の出た永井荷風「春情鳩の街」を原作に1955年に作られた、久松静児監督、森繁久弥主演の「渡り鳥いつ帰る」という映画で、その一端を偲ぶことができますくにまる東京歴史探訪© Nippon Cultural Broadcasting Inc. All rights reserved.
寂れましたが、若手の店舗が頑張ってます‼️
世代交代vs住宅の商店街。
名前 |
鳩の街通り商店街 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
もうカフェー建築も一軒だけですね。
商店街も随分と活気がなくなりました。