名前 |
王丸氏発祥之地 碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
県道沿いにすこし緑が茂った小さな区画があり、やや小振りながら立派な佇まいな石碑があります、また、周辺には王丸氏が開発したと思しき、山を切り開いた田畑が広がっています。
以下、説明文です。
王丸氏は嵯峨源氏にして松浦党中村氏の一族で 文暦(1234年)の昔からこの地に住して王丸を姓とした。
文永年間には源の安があり、世々この地の名主耺を継ぎ、その開発に力を盡している。
戦国時代は大内氏に属し・星山城の城主となり・中婺亟種の時には豊前の馬岳城や高祖の高祖城を守って功績をたてたこともある。
三河守武の時原田氏と共に毛利氏に与したが、後には原田氏に属し、天正15年(1587年)豊臣秀吉の島津攻めの時に没落し、子孫はこの地に留るもの、他に移るものなど四散するに至った。
この地域は昔の浄光寺の一角で、発掘された五輪塔の1基に「本照憲然禪定門 広永16年6月13日」とあつたが、西紀の1409年に当る。
毀れた大木なのは王丸三河守の墓と伝えていた。
この地の人々は王丸様と称して、その霊を慰めるために、毎年8月16日にお紀りをして今日に至っている。