木造の祠があり、その隣には石の小さな祠があります。
ここから見える、朝でも夜でも富士山がビューティフォーでする。
中川の土手に祀ってあります。
神社なのかは不明。
中川沿いにある大きなイチョウの木の下に、木造の祠があり、その隣には石の小さな祠があります。
木造の祠の中にあるのは、不動明王です。
背景に炎を背負い、手には宝剣と羂索。
そして何よりの証拠に「成田山」と刻まれているからです。
成田山のご本尊は不動明王です。
台座に刻まれた年代によれば、寛政九巳年四月(1797年)に造立されたもののようです。
石の祠については欠けてしまっており、何が祀られているかよくわかりません。
かつてこのあたりは水害の多い土地でした。
ある時堤防が切れそうになり、この地の名主様が自ら川に飛び込み人柱になって村を救ったと伝えられています(ソース:『葛飾百話』葛飾区の出版物)。
名主様の話はいつごろの事か、わたしは知りませんでしたが、ほかの方が書かれいる文政三年(1820年)とするならばならば、不動明王像の造立よりも、23年ほどあとの出来事です。
貼付写真は2019年冬に枝が刈り込まれたイチョウの木と祠です。
葛飾は多くの川に囲まれているため、多くの洪水に見舞われていました。
それは江戸時代で、大雨で、川の土手は壊れようとしていました。
村人は保護しようとしましたが、何もできませんでした。
当時、阿弥ida仏に祈っていて、彼の人生を捧げる泥の流れに入ったこのエリアのマスター。
その後、水の流れが弱まり、銀行の破綻から逃げました。
村人はとても感謝しており、イチョウの木と水の神をここで祝いました。
(原文)Katsushika had been hit by a lot of floods because of surrounded by many rivers. It was in the Edo period, its was heavy rains and the river banks was about to break. Villagers tried to protect, but couldn't do anything. At that time, a master of this area who were praying to Amida Buddha and entered the muddy flow dedicating his life. then water flow has weakened, escaping from bank break. The villagers were very much thanks and celebrated the ginkgo tree and water god here.
中川の堤を走っていると突然現れます。
幕末。
文政3年の大水の時に名主様が人柱となり洪水から村を守ったという伝説のある水神様です。
昔は対岸まで渡し舟もあったらしいです。
今は時々モーターボートや船舶が川面を行き来しています。
それにしても長閑な川辺です。
祠の中の仏像は不動明王様です。
成田山の表記があります。
その昔、成田山新勝寺への道しるべとの事です。
通りがかった人のお話しです。
人柱伝説の残る場所。
祠との関連はわかりませんが……祠の中は庚申塔のような気がします。
名前 |
イチョウの下の祠 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

以前は枝を大きく広げ雄大な大木でした 人や車の通行を考えると仕方ないのかと思います。