これもまた風情か。
流山市鰭ケ崎にお住いの方の氏神神社だそうです(千葉県神社庁に確認しました)
住宅街の中にひっそりと有って地元の人がお参りしてたよ。
子供のころから、さまざまな催し物で来ていた記憶があります。
現在も一部の催事は行われているようです。
神主さんが常駐している神社ではないようですが、30~40年経った今も小綺麗に保たれています。
周囲に建造物も増え、今や住宅街のど真ん中に位置する小さな小さな神社ですが、緑も残されており、その空間だけ凛とした雰囲気が漂っています。
切り出した石の道と、痛んだアスファルトの参道は多少ガタガタしますが、坂道なし、傾斜なし、長くもなし、で結果的にバリアフリーっぽくなっているので、足腰が悪く杖をついている方、車椅子の方、ベビーカーを押す方などの参拝も見かけます。
私も地元に戻ってからは、1~2ヶ月に1度くらいのペースでお参りするようになりました。
身近な神社、という感じで好きです。
マップではいつものごとく裏側道なしに...お社はマンションに挟まれた奥、これもまた風情か。
ここ雷神社近隣に私は住んでいました。
お祭りにも参加しましたし、愛犬の散歩でも毎日お世話になった神社です。
多くの人は、小さなひっそり佇んでいる神社だと思ってるかもしれません。
しかし、御祭神は、別雷神です。
つまり、京都の上賀茂神社に祭られている別雷神であり、鹿児島の霧島神宮の御祭神でもあります。
伊豆神とか賀茂大神とも呼ばれています。
別雷神とは、ニニギノミコト様(ニニキネキヨヒト樣)のことです。
コノハナサクヤ姫の夫であり、天照大神の孫に当たる方であり、第10代天神(アマ神とは、今の天皇陛下に当たる)となります。
神話では、天孫降臨した方です。
ニニギノミコト様(ニニキネキヨヒト様)は、日本全国の稲作を灌漑農法で作り上げ、日本の民達の餓えを出さないように御尽力された方です。
筑紫(九州)に行かれたのは、妻であるコノハナサクヤヒメ様が、全国の山統治をされているオオヤマスミ家の娘なので筑紫では、戦闘もせずにスムーズに統治することが出来ました‼️また、別雷神と呼ばれてるのは、雷というエネルギーを火と水に別けたからです。
今年の令和二年の松茸の生産量は昨年の2倍となったのは、松茸の生産地に沢山の気候変動があり、寒暖差が激しかったので雷(落雷)が多発しました❗それが、功を奏した訳です‼️ニニギノミコト様は、雷を分けたのです❗火は、愛宕神社、水は、貴船神社としました。
それにより、水は、守られ、稲作や農作物が守られ命に欠かせない存在を示しました。
天より降りし雨水や雪水の湧水を大切にする為に貴船神社にタカオカノ神、ミズハノメ神、クラオカミノ神を祭り讃え、水を守ってまいりました。
そのお陰で私達が健康で居られます。
それにしても、何故、流山市鰭ヶ崎にニニギノミコト様(ニニキネキヨヒト様)が、祭られたのかは、分かりませんが、ニニギノミコト様(ニニキネキヨヒト様)の功績を知る方々が、創建したのだと推測します。
令和2年は、松茸が大量に出来ました。
店頭では、通常の二分の一の価格まで下がりました。
大量に出来たのは、雷のお陰です。
大量の雨と大量の日差しのバランスが取れた年になりました。
さすが稲作の開拓の第一人者のニニギノミコト様ですね。
By ロックベル。
現在マンションが建ってまして、鰭ヶ崎駅からカーブを左に曲がって確か樹木があったんですよね、振り返り道をこう来て、こう出ると神社が左にあると記憶があるんです、変わりましたよね、当時は自動車で通過していました、数え切れないほどですが、今は歩きか?自転車で?まさかのまさかですよ、こっちの方まで自転車でそれもボロボロの自転車で壊れたりパンクも承知の上、そうなれば友達呼んでやる?そのような覚悟で行動してれば神様も味方ですよね、友達に迷惑かけるなってところでしょうか小さいお子さまが遊んでいました、神社で遊びとは、珍しい光景でしたね、こうして気になる神社を一社、一社お詣りできてる有り難さに感謝してます、文言を読むと色々行事もあるようです、有り難くお詣りすることができましてとても良い雷神社でしたありがとうございました。
昔ながらの普通の神社。
高層マンションの間にひっそり構える静かな神社です。
名前 |
雷神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
創建年代は不詳。
1708年に再建との事で歴史のある神社。
狛犬は力強い造りですね~本殿の裏には境内社が複数あるみたいです。