牛久城は三方を牛久沼に囲まれた舌状台地の上に建つ平...
牛久城。
多賀谷氏、佐竹氏からの侵攻に備えて、北条流築城術を取り入れた岡見氏の城。
高い土塁・深い空堀が、はっきり分かります!見応え有り!
今マップで見ると駐車場があるらしいのですが、行った時には分からず、城趾の周りを車で数周回って畑の隅に説明板を発見。
そこから畑の向こうに土塁や散歩道が見えたのですが、畑の中の道を歩くのは、はばかられるので、諦めました。
駐車場が見つかれば小道があるようです。
また、離れた場所に大手門跡もあるようです。
牛久駅からコミュニティバスの『六建団地』(みどり野ルート)か『城中北』(刈谷城中ルート)下車で徒歩20〜30分くらい。
恐らく地主さんや関係者の尽力で樹木等も伐採され、堀や曲輪の高低差がよく分かるように整備されている(関係者の皆様に感謝!)。
土塁、土橋、横堀などよく残っていて楽しめる。
堀の途中に畝状の盛り上がりもあって、畝堀だったのだろうか?登城口は三の丸(沼方面から本丸、二の丸、三の丸、本丸と二の丸の側面は帯曲輪としているらしい。
)からとなりそうだ。
城域はかなり広く考えられているが、時代によって拡大されてきたものと思われる。
なかなか見応えある城址なので、解説板など整備してもっと魅力的な史跡となることを切に希望する。
土塁や堀切の跡がしっかり確認でき、1時間程度で周辺を散策できます。
案内板が少ないので、当時の縄張り図を見ながらだとよりわかりやすいと思います。
駐車場の近くに牛久沼の散歩コースもあるのでオススメです。
畑のような駐車場のような所にある説明板しか案内らしきものは見つけられず、しかも劣化が激しく見づらいです。
前もって縄張り図を用意したほうが良いと思います。
遺構は深い堀や土橋、曲輪を囲む土塁など、一部だけとは言えよく残っています。
駐車場は2箇所。
城外周の要害地形から見るなら市営城中町観光専用駐車場(元気館近く)、城道の登城ルートで行く場合は、市営得月院駐車場が便利なようです。
高台と急斜面を曲輪とその切岸として上手く利用しており、城地形の見応えがあります。
家臣が駐留した地区の根古屋は城の東側、今は宅地になっています。
戦国末期は小田原北条配下の城とのことで、中城、城中町など地名からみた城範囲は、かなり広いです。
牛久沼の風も心地よいです。
行ってみたら 意外に 見所があります。
整備途中ですが 大堀が 綺麗に整備されており 中々のものでした。
車で行くには 狭い道を通りますが 近くまで いけます。
トイレ等は まだ 設置されてないので 近くのコンビニ等で すませておいた方が 良いです。
牛久城は三方を牛久沼に囲まれた舌状台地の上に建つ平山城だったそうです。
それは面白い形状をした城だったのですね。
かっぱの小径コースの案内には「沢山の木々に囲まれて木漏れ日散歩が楽しめる」と書いてあり、道も整備されていると書いてあったけど…確かに木漏れ日散歩で間違いはないが、雑木林の中をここで間違いない!?と心配になりながら突き進む感じでした😅行けども行けども看板が見つからず… ようやく「牛久沼かっぱの小径コース」の案内板を見つけた辺りで、空堀と土塁を確認する事が出来ました。
結局、他の方が口コミでアップしているような縄張り図付きの看板を見つける事は出来ず、城址の一角に足を踏み入れただけで終わってしまいました。
静かに歩けて良い、建物は残ってないけど貴重な史跡。
壮大な空堀を確認できます。
本郭西側の堀は堀底から10mほどの高さがある。
幅は25m位。
2郭北側の堀も壮大で4郭に繋がる土橋もしっかりと残っています。
この土橋の東側に掘りが盛り上がっているポイントがあり、障子堀のようなものかと思いましたがこちらにも橋があったようです。
土塁も見事で本郭、2郭は全面が土塁で覆われています。
車で来る方は北側の外郭にあたる中城に停められるようです。
駐車場ではないですが、数台なら駐車スペースがあります。
この外郭は本城に比べても非常に大きいです。
多賀谷の攻勢に対し、岡見氏が北条氏に支援要請をし、駐屯していたスペースのようです。
谷田部城、足高城などの支城は落城したが牛久城は陥落を免れたそう。
しかし、天正18年の小田原の役で北条氏とともに岡見氏も没落。
その後豊臣秀吉から岡見領を与えられた由良国繁が牛久城主となる。
関ヶ原の戦い後、徳川家康の家臣で山口氏が統治する。
牛久城は、城主の岡見氏によって天文後半(1550年頃)に築造された。
この城は、戦国期に築かれた東国の城の特徴を持ち、本丸がある城山には石垣や天守を持たない典型的な遺構を残している。
ここは、後北条氏と佐竹氏との境目にあり、三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られている。
天正年間、多賀谷氏と岡見氏の係争の舞台となり、多賀谷氏を支持する佐竹氏と、岡見氏を支持する北条氏の間での対立の地ともなり、堅城として知られた。
天正14年(1586年)から翌年にかけて、下妻の多賀谷氏によって、岡見氏の有力支城である谷田部城と足高城は落城させられたが、牛久城は同盟する布川城の豊島氏、小金城の高城氏などの援軍を得て守りきった。
その後防衛のため城主岡見治広は北条軍の駐留を許す事になる。
しかしながら、牛久城は天正18年(1590年)に豊臣秀吉軍の東国攻めにより開城に至った。
豊臣秀吉は由良国繁を牛久城主としたが、関ヶ原の戦い後に由良氏は減封となり、元和9年(1623年)に牛久城は廃城になった。
その後、江戸時代に入り寛永5年(1628年)に山口重政が1万5千石で牛久に封じられ、牛久藩が成立する。
そして、2代藩主山口弘隆によって寛文9年(1669年)に旧牛久城外郭内の西端、牛久沼に接する標高約20mの台地の端に新たに牛久陣屋が築かれ、以降幕末に至る。
現在は、外郭部は開発の手が入り保存状態はよくないが、一部に空堀および土塁が残る。
また大手門跡は市の史跡に指定されている。
かっぱの小径の駐車場に車を停めて、案内板に従って行きました。
牛久城の説明板があり本丸、遺跡、土塁やほり等の場所も表示してあって良かったです。
芋千で御城印を頂きました。
林の中を散策出来ます。
大変気持ち良く歩けました。
近くに明神塚古墳もあります。
史跡好きには良い場所ですね。
説明は少な目。
竹林に飲み込まれつつある。
廓の小さなお社が風情あり。
舞い散る落ち葉の季節は、葉が雪のようでほっこりします。
野と山があるだけ💧特に案内もなく、城跡らしい形跡は皆無。
山道を歩くと、のべつ小さな虫たちに襲われ続けます。
散歩にも向きません。
北条氏の番城のひとつです。
そのため城域も広大で、堀の深さ広さも相当レベルです。
全体的に比較的整備されております。
見所が多く良い城です。
二の丸?虎口を蜂が守っているので攻撃に注意です。
土地の持ち主さんが整備されているのか、綺麗に草刈りされていて、道に迷うことがなく静かな城址を見ることができます。
本丸、二ノ丸の土塁や、空堀が良く保存されている 。
さらに、周りを囲む堀に、畝堀も見られる。
城趾入口は北側と南側にあります。
どちらも駐車場、トイレはありません車なら北側入口であれば整地されていないスペースはあります北側入口は住宅地を入って行くため、Gマップの牛久城趾を目指してくださいトイレは城趾北側に位置する曹洞宗得月院前の観光用駐車場とトイレをお借りできるようです。
堀や土塁など、中世城郭の跡が色濃く残っています。
名前 |
牛久城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
029-874-3121 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
かつて牛久沼に突き出た半島の台地に岡見氏が築城したお城です。
大手門から主郭部まで1キロ近くあり、大手門脇に総構堀が現存。
城中町内部にも土塁や空堀の遺構が残ります。
主郭部は一昔前までは藪の中に埋もれてましたが、近年は手入れが行き届いており藪こぎしなくても当時の遺構が確認出来ます。
主郭部は本丸、二の丸、三の丸、腰郭があり郭は空堀によって区切られていて土橋がかけられています。
郭を取り巻く空堀は横矢掛け、畝状の堀内土塁も見られ堀底を歩く事も可能です。
牛久城登城の際には得月院にも寄るのもオススメです。
岡見氏が北条氏に付き、小田原征伐後に由良氏が入りました。
その由良氏初代当主、由良国繁の母に縁のあるお寺でもあります。
その得月院裏の空堀は総構空堀と二重空堀になり武者走りの様な広さもありました。
牛久城の周りにも東林寺城、遠山城など埋もれたお城があるのでそちらもオススメです。
最近大手門前に牛久土浦6号バイパスが開通し、大手門前の交差点がちょっと危ないです。
駐車場は大手門側から入ると得月院、牛久城の南部には市営の無料駐車場があります。
私有地内部の遺構もありますので登城の際には気をつけましょう。
地主様も世話好きな方も多く昔の話や敷地内の遺構を見せて下さる方も多いです。
城北側に無料の市営駐車場があり、ヘルスロード「牛久沼かっぱの小径コース」にも入っているのでそれなりに人は訪れています。
定期的に散歩に来ていますがキチンと枝打ち等の手入れがされており散策しやすい城跡ですね♪暖かい日は虫が湧きやすく竹林なので藪蚊もワンサカ☆冬〜春先の頃が藪も少なく多くの遺構が見れるのでオススメです。