偶然バイクで走っている時目について参拝させていただ...
将門大明神 (将門神社) / / .
公的機関が、もう少しきちんと管理すれば、素敵な観光地になると思います…将門関連は、あちこちに散らばってるので…いっその事宮内庁がサポートしてあげられないのかな。
平将門ファンは全国に多いだけに、朽ち果てる前のサポートが必須ですね~。
そうじゃないと、加藤が暴れ出てきますよ!
ここは時々散歩で訪れていました。
今日は久しぶりに車で行って来ました。
いつ来ても落ち着けて気に入っています。
アクセスは車でないと難しい。
手賀沼の南に位置し周辺はお寺や墓所霊園が沢山ある。
「将門通り」という急坂を手賀沼の方に下りた処に鎮座している由緒ある立派な神社。
通りの両側には巨木が生い茂る大きな屋敷の農家が点在する。
手賀沼の北側には利根川が流れていてその向こう側は茨城県。
さらにその北の取手から関東鉄道常総線の終点に下館駅がある。
将門神社から丁度真北に60キロ程の処。
この下館という地名は当時(西暦940年)将門の乱を平定するために藤原秀郷(俵藤太)が築いたと伝えられている「三館」の一つ下館城があった場所。
更に下館の10キロ程北に今も中館(伊佐城)上館(久下田城)の城址も残っている。
其処は茨城県の北の端で栃木県との県境。
駐車場有ります。
鳥居を見逃さないように! 参拝してきました。
住宅街にひっそりあります。
歴史好きの心をつかむ場所ですが、駐車場がありません。
お社の彫刻は、素晴らしいと思いました。
お隣の寺院の方が立派です。
鳥居が無ければ、神社が有る事が分からないと思いました。
手元に持っている『神社辞典』(東京堂出版。
ここは、偶然バイクで走っている時目👀について参拝させていただきました‼️
お寺と隣合わせにたっています。
なぜこの場所なのかわかりませんが、お寺の方でお札、お守りを売っております。
(納めるといいますが)正式に将門神社と言っているのはここだけだそうです。
駅からは距離がありますが、地域に根差したとても素敵な神社です。
平将門様は坂東だけでなく、柏や我孫子の人たちにも愛されていました。
それが現代にも根付いているのは不思議です。
3ケ月毎にお参りしています。
もっともっと多くの方の参拝があっても良いのですが、、、駐車場はないのですが、目の前に野菜の卸売りの場所があります。
屋根もあります。
そこに駐車しても大丈夫みたいです。
地元の方からのお話です。
いつもそこにとめています。
コロナで世の中は大変な状況です。
もし平将門様がいらしていたら、どんな政策をうってくれたのでしょうか。
龍光院の隣にあります。
駐車場は無いようです。
将門神社は小さいけど、本殿の造りが凝ってます。
派手さは無いが歴史を感じさせる趣のある、神社でした。
門の脇には大岩には躍動感ある2匹の竜が彫られていました。
🐲🐉感動(◠‿・)—☆
平将門の三女如蔵尼は父の三十三回忌に当る天録三年(972)に、岩井に将門の霊を祀った。
それがここ沼南町岩井の将門神社であり、将門の神霊をそれぞれ所縁のある所に祀るようになった始めであるという。
寂しく祀られています。
小さいですが本殿の彫刻は立派です。
手賀沼周辺には平将門にまつわるスポットが多く。
ここもその一つ。
社は小さいですが暴れ馬のレリーフも彫られており、所縁を感じます。
となりのお寺では御札も販売しています。
歴史的に有名な平将門公を祀る神社ですが、大明神の名にも関わらず、小さな祠があるのみです。
神社の鳥居から祠に至る参道は青年館の軒下を通るというもので、大明神という名に期待して訪れると失望するかも知れません。
平将門公は心より尊敬する武将でありますが、畏れながら本神社では「新皇」の称号が使われています。
将門公は新皇を称したことで逆賊の汚名を被ることになりましたが、不本意だったと推察します。
下名としては「御祭神 平小次郎将門」を希望致します。
(※境内の掲示より)将門大明神祭神 平新皇将門桓武天皇を祖先として父平良将と共に下総の国相馬郡岩井村に住居し、下総の国の開発と共に住民の生活安定に心血をそそぎ信望を集めたり。
父良将は陸奥鎮守将軍と下総介であった。
将門公は相馬の御厨の下司職を父と共に世襲す。
風早村大井将門山に出城を置き、布瀬高野に高野御殿を築き、土塁跡は今も保存されている。
律令制から荘園制への改変過程で、領土問題より上総の国日立の国と爭いを起す。
京都朝廷より将門追討の命を受け藤原秀郷、関東に下る。
田原藤太秀郷戦勝祈願の為、成田に不動明王を祭る。
日立の国主平貞盛と協力して将門公と戦う。
天慶三年二月十四日春一番の突風に遭い戦斗困窮せる時、羽鳴り鋭く飛んで来た鏑矢、右眼を射抜き砂塵の中に落馬す。
時に午後三時、相馬小次郎将門公再び立たず。
之を承平天慶の乱と云う。
第三女の如蔵尼、父将門居住の此の地に祠を立て、その霊を弔う。
社殿は幾度か新築改造されたり。
一、将門大明神拝殿 一宇 正徳二年二、新造立花表 一宇 享保七年三、新造立平親王将門宮 一宇 延亨元年四、新造立花表 一宇 明和三年五、造立閉植 一宇 寛政二年六、彩色将門大明神雨屋 一宇 文化三年七、再建将門大明神 一宇 安政六年 霜月現在の本殿は江戸末期安政六年の建立にして記念の木札七枚を保存す。
五尺宮社流総檬破風造り屋根は寄棟造り茅葺鉄板で覆ってある。
千葉氏五代常胤、祖先将門公を偲び社殿を復興したとの伝説もある。
基壇の部分に放れ駒や隻眼の人物像がある、放れ駒は九旺星と共に将門公の用いた紋とされている。
茨城県岩井市にある國王神社には共通する伝説がある。
将門神社の社名は日本中唯一にして当社のみ。
区民一同信仰尊敬し霊験あらたかな産土神。
我等の幸を守らせ給へ。
昭和六十年己丑年 区民一同拍手再拝以上。
名前 |
将門大明神 (将門神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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202307201488年に平将門の三女によって母方の故郷のこの地に将門を祀るために建立された神社⛩️建物自体は1800年代に再建されたものらしいです。
木造の本殿の彫り込みが秀逸でかなり興味深いです✨となりのお寺の敷地にに隣接する形なのですが、参道が反対側に隣接する青年館の軒先を通る感じで、とても面白いです😊