明治の中頃まで盛んに使われていました。
鮮魚街道は、銚子沖でとれた海産物を江戸に運ぶために出来た交通路で、明治の中頃まで盛んに使われていました。
そのルートは、銚子から船で利根川をさかのぼり、木下で陸揚げされると、発作(印西市)、布佐(我孫子市)を経て、手賀沼を船で船戸(白井市)に入り、 富塚(同)から藤ヶ谷台町を通り、金ヶ作、日暮、松戸新田、陣ヶ前(以上松戸市)を経由し、松戸の河岸から江戸の魚河岸に着きます。
藤ヶ谷台町は木下・松戸間の中間地点に当たり、人夫達の食事、休憩などで大いに賑わいました。
常夜灯には、「紀元2539年6月設之」と銘記されており、明治12年(1879)に地元の有力者などによって建立されたことがわかります。
現在、鮮魚街道は当時の面影を殆ど残していませんが、その面影をわずかに伝える台町の常夜灯は、貴重な文化財となっています。
沼南の歴史をあるく No.34鮮魚街道常夜燈になります「鮮魚街道」とかいて「なまかいどう」と読みます。
昔は鮮魚を運ぶ街道として昼夜人通りがあったのだと思います。
現在はひっそりした場所になっていました。
こちらの常夜燈は震災で倒れた様で震災後に一時姿を消しましたが、一部が新しくなって復活しました。
名前 |
鮮魚街道常夜燈 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.1 |
布佐河岸から松戸の納屋河岸に荷駄を運ぶ鮮魚街道の中間地点。
小金牧を横切る高速物流ルート(当時)。
金ヶ作五助木戸(五香十字路)在住の銚子屋。