名前 |
山背筒城宮跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
同志社大学京田辺キャンパスの敷地内にある遺跡です。
入口の警衛に許可をもらった際に「継体天皇陵ですね。
」と案内された場所が、正門から50m先の小さな丘です。
丘の階段を上がると石碑がいくつか立っており、それぞれ「筒城宮址」「継体天皇皇居故趾」とあります。
皇居故趾の石碑は三宅安兵衛のものですね。
継体天皇は、今の福井県や滋賀県北部に居た人で、そこから大和に進軍して政権を取った言ってみれば六世紀の古墳時代の北の覇王です。
その途中、大阪東部の枚方に樟葉宮を作り、次いでこの場所に筒城宮を作ったという記述がありますけど、ここが筒城宮だという証拠は出土しておらず、説明書によると「都谷」という旧地名から推定されたようです。
出土しないのは、多分「宮」といっても、しっかりした宮殿ではなく、侵攻のための軍事基地みたいな感じだったからかもしれません。
ここに立つと、福井と滋賀の精強な軍勢を引き連れて、補給線を確保しながらじっくりと前線を進めて京都と奈良を攻略した、戦上手の継体天皇の姿が思い浮かびますから。
ただ、古代の筒城宮よりも私的により強く関心があるのは、近代の「三宅安兵衛」です。
彼は、継体天皇に強い関心を持って関連する場所に石碑を立てていますが、福井小浜出身の三宅安兵衛にとっては継体天皇は郷土の英雄ですから、身びいきにもなるでしょう。