約30年前に訪問した懐かしい河井継之助記念館へ団体...
只見町 河井継之助記念館 / / / .
会津塩沢駅から、駅から散歩で訪問。
秘境駅の会津塩沢駅を降りる。
記念館へ向けて案内看板が出ているので、迷わず行くことが出来る。
行くまでの道が、また素晴らしい。
景色を堪能しながら、徒歩10分ほどで到着。
館内は、写真撮影も出来る。
司馬遼太郎が眺めた場所で、『峠』を思い起こすと、感慨深い。
記念館より、徒歩5分ほどで、河井継之助のお墓があるので、ぜひ訪れたい。
入館料350円で木曜休館日です。
冬季間は休業しているようです。
252線沿いに案内看板がありますが少し分かり辛いかなと。
道路幅も狭いです。
道路沿いに第一駐車場があり、記念館前に第二駐車場がありますが、週末でも第二駐車場に停めれました。
長岡藩の藩士だったのに亡くなったのは只見町だったんですね。
1973年に開館し、1993年に終焉の間を移築し新装開館、2008年に生まれた地の長岡市にも記念館がオープンしたことを機に展示内容がリニューアルしているそうです。
戊辰戦争での出来事を映像で説明しているので、興味のある方はぜひご覧になって下さい。
河井継之助の終焉の地がここだったとは知りませんでした。
観光案内のパンフレットで知って、ぜひ訪れようと思った。
キレイな山河のいっかくにお墓がありました。
その手前に河井継之助ミュージアムがあった。
激動の時代に筋を通した男の生き様は尊敬いたします。
それに比べて長州勢力の腹黒さはどうにかしなきゃと感じます。
150年ほど前から日本の政治を牛耳っています。
腐敗するのも当然だ。
お墓のまわりに気がつけば、可憐なカタクリの花が群生していた。
長岡藩、会津藩、米沢藩の律儀な人々によく似合う花です。
2023.10.3 (火) 、約30年前に訪問した懐かしい河井継之助記念館へ団体で訪問。
職員の丁寧な説明を受け、長岡藩家老河井継之助がめざした非戦中立、豊かな民の生活を願いながらも戊辰戦争のひとつ北越戦争で戦わざるおえなかった経緯を改めて知りました。
この戦で負傷しながら八十里越を経て只見で療養するなかで「商人になれ」と諭された藩士が後に銀行家・衆議院議員を経てアサヒビール・大阪ガス・阪神電鉄創業に貢献した外山脩造であったことも。
彼の想いを語り継ぎ、今後の日本のためにも大切にしていきたいですね。
初めての方はビデオを観ることをお勧めします。
以前から河井継之助という人物に興味を持っていましたが、役所広司さん主演の峠の公開を機会に記念館を訪ねてみようと思いました。
いずれ、長岡にも行ってみたいと思っていますが今回はドライブを楽しめる只見をチョイスです。
こちらは河井継之助が亡くなった土地ですが、最後を看取った医師の矢沢家の子孫の尽力で立派な記念館ができたようです。
戊辰戦争と言えば会津藩の鶴ヶ城や白虎隊の話ばかりがクローズアップされますが、その陰で河井継之助のような立派な志を持った人物が波瀾万丈の人生の終末を迎えた話を詳しく知る事ができました。
資料の展示や画像での説明もわかりやすくて良かったです。
周囲には飲食店は無いので、要注意です(^^)!
若かりし頃に、司馬遼太郎の峠を読んでから30数年して訪れる事が、出来ました。
感慨深いですね。
館内は臨終の建物再現、銅像、資料が満載で、写真撮影OKで楽しめました。
映画「峠」封切りを機に、この記念館を盛り立てて頂きたい。
継之助を最期に治療した医師の末裔が、その歴史的な意義を大切にして、代々守り続けて来たのだと、係員の方の説明に感銘を受けた。
列藩同盟が崩れゆく最中、会津を目指した継之助ではあったが、落武者の様な心中はさぞや苦しかったであろう事は、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」と謳った文面で窺い知る事が出来る。
申し訳ありません。
私60代シニアですが河井継之助様の事まったく存じません。
只見までの旅行の帰り道に立ち寄りました。
幕末の偉人なのは解りました。
勉強不足を恥じますが多分多くの日本人は知らないと思います。
この機会に勉強します。
勿論、映画も見せて頂きますね。
監督があの尊敬する黒澤監督の助監督をされた方ですから、間違いないと思います。
youtubeで映画公開の告知を見てさっそく見学に来ました展示も多くて入館料が安いのでお得だと思いました歩いて数分の所に継之助のお墓も有るので忘れずにお参りしましょう周りはとても素晴らしい景色の場所なので撮影も忘れずに!最後に今だけなのかもしれませんが入館記念で3種の缶バッジのうち1つ貰えました。
司馬遼太郎の峠を読んで、いつか行きたいと思っていました。
6月にはいよいよ映画も公開されます。
施設内には継之助が最期を迎えた部屋が展示されていますが、ダム建設により家屋が沈む前に部屋だけ移築して残されたとのことで感動しました。
災害で寸断されていた只見線も秋には開通する予定で、次回は電車で来てみたいです。
幕末の人物に興味を持ったら、ココは欠かせません。
戊辰戦争の「北越戦争」を学ぶ事が出来ます。
駐車場は252号線沿いに1箇所(広く出入りしやすい)と、記念館前に1箇所(出入りしにくい)があります。
施設はキレイで、入り口に入ると「河井継之助」さんが出迎えてくれます。
2階で北越戦争と河井継之助さんの生涯を学び、1階で只見の戊辰戦争と河井継之助を看取った間(本物)を見学出来ます。
只見町の「河井継之助愛」を強く受け取れる、とても良い施設です。
岩塩資料館もあります。
本格的な冬になる前の10月に訪問。
川沿いに面した記念館です。
長岡の記念館とはまた違った趣があり、河井継之助の生き方を知ることができます。
記念館の裏には墓所があり、手を合わせることもできます。
只見川流域にあり、河井継之助ファンには、聖地となる場所で、なくなった医者宅を完全保存して再現されていて、幕末当時の激動の人生を歩んだ歴史を語る記念館だと思います。
開館時期があるので訪問時はウエブサイトまたは電話で確認してから訪問されるのがよろしいかと思います。
駐車場までが道路が狭いので要注意です。
かわいつぐのすけと表記されているものが多く、かわいつぎのすけと表記されていたものは私自身では一カ所しか探せませんでした。
名前の読み方が2種類あり探すのが面白いです!
河井継之助が亡くなった地に立つ記念館です。
長岡市の記念館とは姉妹提携しているようです。
(長岡は生地)亡くなった時の家が記念館の中に保存されていますが地元の人が自費で保存に当たったのには驚きました。
(本来はダム湖に沈むはずだったらしい)只見の人々の人情が感じられる施設でした。
素晴らしい建物と場所。
こじんまりしていて。
立ち寄りにはちょうど良い大きさです。
近くにお墓もあります。
河井継之助の人生について学ぶことができる素晴らしい施設。
新潟県長岡藩の人だが、この福島県只見町が終焉の地ということで、記念館を建てたようだ。
2021年7月1日から映画が公開されるため、これから人が集まるかもしれない。
司馬遼太郎の「峠」の映画公開(2020年9月→2021年7月に変更)の前に、小説を読み終え、この小説の主人公「河井継之助」の終焉の地に来てみたくてやって来ました。
幕末、日本に3台しか無かったガトリング砲。
機関銃という名前を彼が付けました。
当時、日本に3台あり、2台を長岡藩が所有し、1台を薩摩が船の艦尾に固定して使っていました。
従って、陸上戦闘で使用したのは長岡藩が初めてです。
射程距離は分かりませんが、小説では1分間に300発。
1秒で5発ですね。
この記念館には1分で200発と書いてありました。
いずれにせよ、刀を振りかざして突撃して来る敵はなぎ倒されます。
幕末期に今の核兵器に相当する高額兵器を、石高わずか74000石の吹けば飛ぶような小藩が買えたのか、何故外国人は河合継之助に特別に売ってくれたのか。
それは小説を読むなり、現地で確認してみてください。
この後、このMapのすぐ北にある医王寺に彼のお墓があるのでお参りしました。
徒歩10分です。
映画公開が待ち遠しい・・・
山本五十六も敬服した不世出の偉人。
館内は大変美麗に展示品が飾られ、説明も満足。
武装中立の夢破れても、敗者が愚者でないことを彼は身を持って証明した。
八十里越峠辺りに隠した埋蔵金はどうなったのかな?
記念館から10分程歩くと河井継之助のお墓がありました。
地元の方に大切にされてるようで良かったです。
コロナ解禁日以降の利用でした。
感染対策大体されてました。
只見町の施設は、コロナ感染対策はなされてる所が大多数。
ショウノスケ様の生き様。
尊敬。
司馬遼太郎さんが、林修さんらがリスペクトするのはわかりました。
直接、記念館にきてください。
そしたらわかります。
百聞は一見にしかず。
長岡(記念館)から叶津番所と八十里越を通りやっと到着、継之助の足跡を追って終焉地に近づくのが複雑な心境でした。
展示は遺品も多く見所ありましたが、何より持ち帰って読んだ只見町史「最後の十二日間」の会津の真心に胸が打たれました。
記念館前に駐車場(10台)ができたばかりとのこと。
道幅狭いのと入る道が分かりにくいので一旦下の駐車場で確認するのがよいかと思います。
周囲の風景、特に紅葉の時期だったので、山と湖のコントラストが美しいです。
只見線もいいですね。
記念館は近代的な建物でした。
たまたまカメムシが大量発生とのことで、建物の内外に集団で居て気持ち悪かった。
青臭いし。
代表的な展示と共に、郷土史家の方が書いた、ガリ版刷りのような資料があり、帰宅後読みましたが、当時の村の状況や人となりが感じられ良かったです。
近くには河井継之助の墓もありお参りしてきました。
河井継之助の終焉の間が移築保存されています。
資料も長岡市の河井継之助記念館より充実しており、近くのお寺にはお墓もあります。
前から一度は行ってみたい、河井継乃助に触れてみたいと思っていました。
親切なガイドさんにじっくり解説していただきました。
当時の情勢や継乃助の人となりを感じる事が出来ました。
地元の会津と重なるところもあり印象に残りました、隣の塩博物館も良かったです。
八十里もバイクで行ってみたい!
前をよく通っていて、気になっていました。
今でしょ!の林先生も来館していました。
中を見て、新潟県と福島県とのご縁を感じました。
司馬遼太郎さんの峠を、読んでみようと思いました。
歴史を感じることができますよ。
司馬遼太郎の峠を読んだことがあり、いつか行きたかったが交通が不便なところでなかなかいけなかったところ、GWにやっと実現。
無料のガイドさんが一生懸命分かりやすくガイドしてくれ、知識のない妻も理解でき、展示も大きく分かりやすく、素晴らしかった。
映画化されるようなのでいってよかったと思えました。
建物は立派、中の展示物も立派、景色は超キレイだけど高台にあるのに進入路の看板が小型すぎてわからず通りすぎてしまいます。
下の道路沿いの駐車場に停めたら良いのだけど歩いて上がるのがシンドイお年寄りもいます。
とてもオシャレで美味しいコーヒー屋さんがすぐ横にあります。
景色は絶景。
日本じゃないみたい。
只見川の紅葉を見に行ったついでに寄りました。
新潟長岡の偉人河井継之助について館内の方が詳しく説明してくれます。
ただカメムシが大変多く一生分のカメムシを見た気がします。
匂いも凄かったです。
虫嫌いの方は秋に行くのは避けた方が良いでしょう。
冬期閉鎖で入館できませんでした。
建物は、大変立派な感じです。
次回は、必ず拝観したいです。
親切興味深くガイドしていただきました。
人柄のわかるいい展示です。
無念であったろう河井継之助の最期と、只見における戊辰戦争の模様が良くわかった。
司馬良太郎の峠を読んで感動し、河井継之助の戊辰戦争を辿りこの地に着きました。
振興公社の方から案内いただき訪問しました。
立派な記念館でした。
今年は外山脩造没後百周年でアルバムなど企画展示がありました。
「河井継之助君終焉の地」の記念碑もあり、司馬遼太郎さんが見た場所も記されていました。
なんと、林修さんも何回かこられたようです。
「いつやるの? ・・・・・」色紙がありました。
名前 |
只見町 河井継之助記念館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0241-82-2870 |
住所 |
〒968-0411 福島県南会津郡只見町塩沢上ノ台850−5 |
営業時間 |
[月火水金土日] 10:00~16:00 [木] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
2024.6.28(土)仙台からツーリングで訪問。
「峠」を観てからの訪問をお勧め。
記念館から望む、只見川と只見の里山の絶景も見事。