特に防御壁を建てるでもなく街並みの中でポツンと古墳...
〈内裏塚古墳〉後円部にはひっそりと石碑が立っている。
大正4(1915)年までここには珠名姫神社があった。
祀られていた珠名姫という女性は万葉集に”須恵の珠名”として登場し、古代、奈良の都までその名を響かせていた房総美人のひとりだったという。
『都心から行ける日帰り古墳』より。
獣道を抜けて上に登ると、祠があります。
この地域に数多く存在する古墳の一つです。
特に防御壁を建てるでもなく街並みの中でポツンと古墳が残されている風情に何となく親しみを感じた。
普通、富津だけに。
地味だが なかなか歴史を感じる場所。
写真で見たままで、それ以上のものは無い。
古代の美女に関する碑がある。
小ぶりな狛犬はかわいい。
車では来にくい。
あまりおすすめしません。
墳形も分かりやすく状態の良い古墳です。
五世紀前葉、西の内海沿岸の川口域で古墳の空白地帯であった小糸川河口域に房総では最大級の前方後円墳である「内裏塚古墳」が突如として築造された。
ここに、房総の大和河内王権の「統一国」の国々を治める「オウ」が出現したのである。
@房総風雅史 古代・中世編 小倉光夫著P73古墳の上に、万葉集の「上総の周准(すえ)の珠名娘子(たまなおとめ)を詠む一首」の珠名の塚がある。
作者、常陸守の高橋虫麻呂はが仕えた常陸国造は上総の須恵国造と同族である。
P208
名前 |
内裏塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
界隈で1番有名な古墳。
小学生の時に土器の破片らしいものを見つけて小学校へ寄贈した。