おそらく令和元年9月の台風15号により石碑が倒壊し...
請西陣屋跡(真武根陣屋跡) / / .
「最後の大名」の林忠崇の真武根陣屋。
以前は石の上に碑があったはずだけど、久しぶりに訪れてみたら無くなっていた。
恐らく令和元年東日本台風で壊れたのだろう。
最近売り出し中の新興住宅地に隣接しながらも、ひっそりと市内を見守っている。
残念なことに、おそらく令和元年9月の台風15号により石碑が倒壊しています。
脱藩大名の忠心と翻弄される運命。
木更津市の山中に石碑があります。
分かりにくいです。
でも、丘の上なので景色はいいです。
藪の中に土塁などが残っているようだが、それは見ることはできない。
周囲は住宅団地が迫ってきているが、幕末日本の歴史を語る舞台として重要な場所であるので、ぜひとも残してほしいものである。
ちなみに城主林氏はもともと信州筑摩郡林郷(現松本市里山辺林)の住人で、伝承によれば、室町時代であろうか、徳川氏の先祖が雪の中を道に迷い、林氏に助けられ、さらに雪の中射とめた兎を汁物としてふるまったと言われる。
その後助かった徳川氏の先祖は、やがて征夷大将軍として江戸幕府を開くのだが、徳川家の正月の膳として、その故事にちなんで兎の汁物を食するのが吉例になったとされ、その任に当たったのが林氏とされている。
林氏はその後幕府の下で出世したので、最後まで幕府に従ったのは、その恩に報いたためであろうか。
兎を射た辺りは松本市にあり、「兎田旧跡」として石碑が立っている。
請西藩最後の藩主、林忠崇公。
林忠崇公の、陣屋出陣直前の肖像写真。
残念ながら請西藩陣屋は、藩士による自焼行為(忠崇公自ら指示)により焼失した為、この地には何も無いが、請西藩に関する記録文書や当写真は後世に残された。
肖像写真は、出陣前の当地で撮影されたとされるが、木更津に当時新技術である写真術を取り扱う写真技術師が滞在していたのかは甚だ疑問である。
以前、木更津市郷土博物館に公の特別展示を観覧した際、写真は「函嶺の陣にて撮影」と書かれていた記憶があり、箱根ならば温泉地の土地柄で外国人写真技術師らが滞在していても不思議ではない為、私はこちらの説を支持するものである。
忠崇公ら遊撃隊一同は、箱根の関所を占拠した時期もあり、根拠のない想像だが、おそらくこの写真は、箱根関所の一室ではないだろうか。
また写真は一見、羽織袴姿のいかにも江戸時代の旧式兵制であるように思われるが、胸元部分を見ると、羅紗のベストと釦らしきものが写っている。
見えない下着には白シャツを着こんでいたのではなかろうか。
これは、公自らフランス式軍制を意識していた事が伺える。
名前 |
請西陣屋跡(真武根陣屋跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
最近、御城印の収集に興味が湧いてしまった一環で訪れました。
知識など何も無いので記念碑と原っぱと畑があるなと。
城感を感じる事は出来ませんでした。
2021年12月現在、2019年の台風で破損したらしい石碑は土台の石ごと無くなってました。
説明文だけでなく想像で構わないので当時どんな建物がどのようにあったか分かるような絵も掲示して欲しいなと思いました。