名前 |
神代神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
上総国町村誌「神代村」に、概ね以下の記述あり。
神代村は、古来より神地であり、神代の神が座してより2~3戸の家があり、その後、発展して大郷となり、新生・権現堂などの諸村が分かれていった。
維新前は代官の支配地であり、また旗本酒井氏の治める地であった。
その頃は、戸数16、人口65人。
馬5頭。
段別19町5段7畝15歩。
地税は153円10銭4厘。
祭神:天照大日孁尊・保食神。
貞観10年9月17日正六位上、神代神に従五位下を授けられる。
元慶元年5月17日従五位上を授けられる。
(三代実録)寺は、稲荷山神光院、真言宗。
__________以上(抄出)_______神代神社は、古代において太陽を祀る聖地であったか?貞観十年(868)に正六位上から従五位下に昇叙。
祭神は、アマテラスオオヒルメノミコトであり、日を祀る重要な聖地に相応しい。
(『市原市史』別巻、pp43-44)養老川の対岸に前広神社・武市神社がある。
柳原村に津渡(柳原渡)があった。
神代から養老川を渡り、十三重塔を経て有木(蟻木)城へと道が続いていた。