名前 |
大高甲斎墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
員弁川左岸道路北、神田池北東「福泉寺」さん本堂南側に墓石が建立されています。
石碑、碑廻り等綺麗に維持・管理されています。
※東員町の資料を引用しご紹介します。
【大高甲斎の碑(おおたかこうさいのひ)】大高甲斎は、その名を兵蔵、またの名を重義といい、文化元年(1805)、瀬古泉の中村家にて出生、幼少の頃より武芸を好み、文政5年(1822)18才の時、江戸へ出て、伊庭軍兵衛(心形刀流)、長沼勝兵衛(真心陰流)を師として剣法を修業しました。
また、亀山藩の柘植氏に従い、日置流弓道も極めました。
天保5年(1834)、郷里瀬古泉に帰り、道場を開いて子弟を指導、その門人は二百余人を数えました。
老いてからも、なお、気力軒昂、読書、俳諧にもはげみ広く人望を集めていたと伝えられています。
明治19年(1886)初秋、82歳で没しました。
と、なっています。