戊辰戦争で結果的に重要になった戦場。
戊辰戦争で結果的に重要になった戦場。
二本松城が落ちて新政府軍が東側から会津に攻め入ることができるようになり、他の峠でも戦闘はあったが、人数・砲台など戦力差が大きく母成峠の戦いは1日で旧幕府軍が敗走した。
戦いには土方歳三など新選組のメンバーも参加していた。
母成峠が突破されて鶴ヶ城に攻め込まれた。
そして降伏することになる。
奥羽越列藩同盟が崩壊したのは母成峠が突破されたことから始まる。
峠の頂上に駐車スペースがあり一服できます。
静かで景色が一望出来ます。
会津戦争の陣跡があります。
会津藩(旧幕府軍)と会津戦争の歴史を語る上で欠かせない母成峠。
ようやく来られて良かった。
1868年の8月21日ここで戦った土方歳三さんら旧幕府軍や会津藩の武士などに思いを馳せながら素晴らしい吾妻の山々を眺めました。
素晴らしい場所なので是非幕末の歴史好きには訪れてほしい場所の一つです。
駐車場からの階段を上がると、防塁の名残である土塁があります。
突き当たりを左に降りるか、急な坂で滑るのが怖い方は、駐車場に戻って左側の舗装道路を進んでいった左の急な昇り口を上がると、砲台跡です。
真夏でしたので、大量のアブが飛び回っていましたし、雨や霧の多い所だそうで、土がぬかるみ滑りますので、ご注意を。
それにしても、二股口の古戦場とは違い、車でここまで来られるのは、ありがたいこと。
それに、自販機もトイレもないからこそ、静かな場所として慰霊できる。
ご冥福をお祈りいたします。
道路によって分断されてますが、土塁がよく残っています。
現場に行くとなんとなく歴史を感じます。
ただし、土塁のところに案内や説明板が欲しかった。
紅葉の季節ちょっと過ぎたので寂しかったですがよく晴れていたので月山?まで見えました。
会津戦争が主役の場合、必ずといっていいほどこの母成峠の戦いが出てきますから、実際にどんな場所だったのか確かめることができて実感がわきました。
でも何でこの場所が趨勢を決めるほどの戦になったのか不思議です。
旧道が通っていたから交通の要衝だったのかな。
と思ってネットで調べたら、会津へ向かう他のルートは旧幕府軍によって強固に守られていて、新政府軍は裏をかいて手薄な母成峠のルートを進んだみたいです。
母成峠古戦場の碑はこのポイントではなく、駐車場側にありますね。
戊辰戦争最大のターニングポイントとなった激戦地。
会津方は南に厚く守備陣を敷いていた。
ここを突破されて一気城下に…。
戊辰戦争で旧幕府軍と新政府軍が戦った激戦地。
防塁や砲台跡が明瞭に残っている。
馬入峠の堡塁に類似している。
合戦場跡としては保存状態が良いと思います。
戊辰戦争時の激戦区です。
3月の祝日に訪れましたが、まだ雪が残っており、駐車場には入れず。
紅葉の季節は綺麗です。
150年前に思いを馳せました。
防塁や塹壕も残っています。
ただ足元が悪いので、滑りにくい靴がいいです。
少しですが土の斜面をよじ登ります。
女性の方注意、お手洗いはありません!ルート上のコンビニを調べておきましょう。
(東軍慰霊碑に簡易トイレがありましたが、衛生上使おうとは思いませんでした)動物のフンが落ちていることがありますので踏まないように…慰霊碑に行くとき、準備出来れば何かお供えしたりお線香をあげると良いかもしれません。
生憎何も用意できなかったので、硬貨と紅葉した葉っぱを供えました。
感動した。
なぜなら、二本松藩士の丹羽丹波さんの名前があった。
しかも、土方歳三と一緒に。
ここは戊辰戦争時代激戦区だった。
東軍800の兵に対し西軍3000の兵。
山の上で反撃しようにも敵が多すぎて結果負けてしまった。
毎年8月に顕彰祭が行われている。
紅葉の時期の眺めは良いです。
散策路の看板があり、それによると防塁、塹壕などがあるようです。
看板無しでは気付かないかも知れません。
静かに歴史の跡を残している場所です。
駐車場から出るときは車が直前まで見えなく危ないので十分注意してください。
皆様飛ばしていらっしゃいます。
せめてミラーは立てて欲しいです。
自販機やトイレ置いてくれ。
景色はいいですが、休憩ベンチは壊れてました。
自販機、トイレ無し。
戊辰戦争会津戦役の激戦地で石碑が立っている。
名前 |
母成峠古戦場碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
幕末好き、新選組ファンの方なら、必見です👍景色もとても眺め良し😊