最後の詰めが分からず、行ったり来たり。
武蔵・下総から上総・安房の房総に通じる交通の要所で、里見氏と北条氏が幾度となく攻防戦を繰り広げた場所だそうです。
事前に見た蔵波城や久保田城はこの椎津城の支城ですから、このお城がかなり重要なお城であったのでしょう。
また、信長の野望をやっていても、この椎津城は出てきます。
戦国時代に戦があった城と有名なお城のようです。
久保田城を見た後に歩いて行きました。
浅間神社の裏山が椎津城のようです。
浅間神社は立派な神社でした。
大銀杏が神社の真ん中に鎮座しています。
神社の裏に行くと畑のような場所に出て、その横井椎津城の案内がありました。
小道を抜けると一旦普通の道路に出ます。
間違ったかなと思いましたが、ちゃんと案内がありました。
坂を上っていくと鶏が放し飼いされている場所に出ます。
その隣が椎津城の入り口でした。
椎津城はしっかりと整備されています。
椎津城址の幟もあり、説明板もありました。
少し日が暮れてくる時間になってしまいましたが、趣のある場所です。
そこから少し下ったところに、ウッドチップでしっかりと整備された通路がぐるっと円になっていました。
城址として残っている広さはそれほど広くはありませんが、良いお城でした。
帰りは放し飼いの鶏が道路に出ていてびっくり。
でも、自分で階段を上ってみんなのところに帰っていきました。
城跡へは姉ヶ崎駅から徒歩15〜20分くらい。
近くには案内表示やのぼりなどがあり迷う心配はない。
地主の方の理解と地域の方々の熱意で、主郭や帯曲輪など良く保存されている。
主郭には竹垣や木や竹材をチップにして散布した歩道を整備し、周遊しやすくなっている。
既に住宅地や畑となっている外郭を含めればかなり大きな規模の城であったことが想像できる。
城跡内にはシャガ?の群落もあり野花の観賞も魅力かも?
途中途中に看板はあるものの、最後の詰めが分からず、行ったり来たり。
最終的に、細い道に入ってすぐ、住宅の脇を抜けると主郭へ至る道に辿り着きます。
駐車スペースも無く、道も細い為、車での訪問はオススメしません。
主郭の周囲は散策できますが、その先は私有地だったりと、全容を計り知る散策は出来ません。
鎌倉時代に椎津胤仲が築いたとされ、戦国時代には真里谷武田氏と里見氏による争奪戦が繰り広げられ、北条氏の滅亡により廃城となった城です。
城跡は宅地化に呑まれつつあり中心部も私有地で立ち入りに制限がありましたが、市原市指定史跡となり2017年には千葉県指定史跡となりました。
城跡は伐採や散策路の整備が進み、見学しやすくなりつつあります。
遺構としては主郭跡の土塁がよく残っています。
名前 |
椎津城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.ichihara.chiba.jp/article?articleId=6023758aece4651c88c18483 |
評価 |
3.5 |
姉ヶ崎駅から徒歩10分少々で到着とアクセス容易で有難し。
現地は案内板あるものの城域が極めて広大で、市有地と私有地の赤道を通れ?という地図もよく分からず、主郭含めどこが立入禁止区域なのかが今ひとつ分からずじまい。
遺構も宅地開発で削られ曲輪は畑になってたりして、色々と入り乱れている印象です。
安房武田氏と里見氏の椎津合戦では1000人以上が討死した激戦地とありますが、場所が比定できずなかなか想像しにくかったです。
首塚もどこかにはあるのでしょう。
しかし目の前に古からの房総街道が通り、椎津川を天然の堀としてまた当時は河口付近でもあり陸海川の交通・流通の要衝だったろう事が伝わってきます。
駅からの街道沿いの商店街はほぼシャッターが降りてますが、姉ヶ崎陣屋跡などに往年の賑わいと歴史が感じられました。
周辺含めた往年を想像しながら散策すると楽しい城域です。