学校の中に入って奥の校舎右手にこ名前の石碑があります。
得に跡は何も無いみたいです。
都立園芸高校正門前。
都立園芸高校の正門右脇に設置されている石碑。
兎々呂城は、小田原北条氏配下の南条氏によって統治されていた。
世田谷を統治していた吉良氏、そしてその配下で尾山台や等々力あたりを支配していた大平氏に対する北条氏による牽制のため、南条氏が配置されたとの説がある。
1590年の小田原落城後、南条氏は城を出て土着したとのこと。
現在その縄張りを知ることはできないが、園芸高校付近は、東北を呑川、南西を矢沢川に挟まれる小高い丘となっており、山城として機能したと推測される。
跡は跡だけど、何にもありません。
授業で生徒が学校の外周を持久走している事が有ります。
とても広くて面積は東京ドーム3個分との事です。
緑が多くて中を見学するときは1週間前にFAXにて申し込みして行事が無ければ大体一週間後に中を見学出来ますが前もって確認していけば良いと思います。
学校の中は徳川家光が寵愛した樹齢約500年の松の盆栽❗アメリカから貰ったハナミズキ、!💮薔薇園等々、見処沢山です。
緑があって静かでこの周りを一周するのが私のウォーキングコースになっています。
名前 |
兎々呂城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
ここも、吉良氏の家臣南条氏が、築いた城跡で、奥沢城と、一緒に、小田原征伐の際、落城しました。
現在は、東京園芸学校と、なっております。