草木も名札をつけて整備されて僅かな距離ですがとても...
休日の午後に訪問しました。
ご本尊は千手観音様です。
由緒ある古いお寺で、荻窪の地名のもとにもなっているそうです。
当日は参拝客は一人だけで、ゆっくりとお参りできました。
荻窪の地名の由来となる真言宗豊山派の寺院です。
きれいに手入れされた境内で、ご朱印は本来書置きなのでしょうが、今日は直書で対応していただきました。
私の家の墓は、別院にあります。
屋内で雨が降ってもいつでもお墓参りが出来る便利さでそこにお墓を設置しました。
荻寺とも呼ばれ、荻窪の由来ともなった場所とのこと。
光明院の周辺に残る「四面堂」の地名はこの寺の御堂に起源をもつと、寺院まえの説明書きにあるが、青梅街道・環8・日大二高通りが交わる「四面道」交差点の名前と関係があるのだろうか?
荻窪駅界隈を散策していて偶然発見。
日曜日の午後は閉まっていて入れませんでした。
生活道路の曲がりくねった小道と合わせていい感じの風情があります。
いつも通るだけできちんとお参りしないのは罰当たりなのだが、線路沿いの通り道として欠かせない場所。
六地蔵というのは普通にあるが、この寺には十三体ほど祭られている。
春には櫻、初夏にはお寺らしくすっきりとした風情の牡丹が美しい。
境内を通行出来るようにしていただいているし、草木も名札をつけて整備されて僅かな距離ですがとても良い!
駅から西荻方向に行くときに敷地内に通り道を作ってくれているのでありがたいです。
しかも四季折々の花が植えてあります。
参道は昔っからの上荻2と1を繋ぐ通り道。
線路沿いに墓持ちの檀家だが、確かに後ろが線路で通過音はあるが、逆に家族としては“さみしくなくていい”と言う感覚。
現在、住職は真言宗豊山派の87代化主猊下(当主)として奈良桜井の総本山:長谷寺にお勤め中で、実質的に副住職が寺を守っている。
楼門や塀がないので外から丸見えで、凛とした雰囲気ではなく開放的な雰囲気なのが個人的には少し残念。
檀家執行役員がしっかりしており、変な勧進(寄付金)等が全く無いのもいい。
真言宗豊山派の寺院で、通称、荻寺と呼ばれ、荻窪の地名の由来になったと言われています。
本尊は南北朝時代に作られた千手観音とのことで、拝もうと思ったのですが、本堂の鍵は閉められており、しかも、床掃除されておらず、靴下が汚れてしまい、少し、残念でした。
正式名は慈雲院「荻寺」光明院。
真言宗豊山派。
創建はなんと奈良時代まで遡るという荻窪屈指の古刹。
古くは「荻堂」とも呼ばれ「荻窪」の地名の由来となったお寺らしいが残念な事にJR中央線の線路と環状八号線が交差する場所の為か古刹の雰囲気はまるでない。
てか線路脇とかにお地蔵さんディスプレイしすぎてむしろ怪しげなイメージが・・・(笑)
観音ホールでお葬式ができます地下ですが 圧迫感もなく綺麗ですパントリー、控え室エレベーターもあります。
お清め(会食場所)は1階に上がって履き物を脱ぐことになるので少し不便です1階から地下ホールに降りる階段の1段目と2段目の段差が違っていて けっこう危ないです。
通称荻寺、荻窪の地名の由来のお寺さんだそうです。
境内には泣きべそ地蔵や閻魔様がおります。
南北に分断された荻窪を繋ぐ隠れた街の要所。
寺院内には24時間開放された寺の東西を繋ぐ小径があり、その途中に荻窪を分断するJR中央線をくぐるように南北に小さなトンネルが走る。
地域住民にとっては大事な要所である。
ただ夜間はかなり暗い。
怖い。
特に女性の独り歩きは気をつけて。
その小径の東玄関は規模は小さいが竹林になっており、夜はライトアップされて美しい。
数年前のリニューアルで数が少なくなったが、向かい側に安置される大小の地蔵群との対比も、また怪しさを増し美しい。
創建は、708年と伝わる古いお寺です。
本堂左側には、焔魔堂があります。
「荻窪」地名発祥ゆかりのお寺とは知りませんでした。
厳かですばらしいです。
葬儀場として広くて立派で高い。
檀家は安くなる。
お弁当は、鴨よしが出入りしていて秀逸。
私道を解放しており、これもお慈悲か。
荻窪発祥の地らしい。
きっとお葬式のホールとしてはいいのだと思う。
名前 |
光明院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3390-4647 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
光明院は真言宗豊山派のお寺で、山号は慈雲山、寺号は萩寺。
和銅元年(708年)行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところを急に仏像が重くなり、萩の草堂を作って仏像を安置したのが開創と伝えています。
本尊は千手観音坐像、通称「荻窪の観音様」の名で近在の人々に親しまれています。
境内では「泣きべそ地蔵」という名前のお地蔵さんと出会うことができました。
その由来は以下のようなものです。
小張吉兵衛さんが建立された阿彌陀様、観音様、勢至菩薩の4体の大きな石仏をいいます。
吉兵衛さんが両親と奥さんを相次いで亡くし、悲しみをまぎらすためにお地蔵様を建てました。
建てた当時は普通のお顔でありましたが、だんだん悲しみの顔にかわり、ついに泣きべその顔になった。
と伝えられています。