こちらの寺が地名の由来となったわけではないそうです...
2024.4.8 善福寺の写真です。
立派な桜が満開でした。
福寿山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来立像です。
開創は詳らかではありませんが、開山は御堂阿闍梨と伝えられ、中興開山は月山機法です。
古くは、無量山福寿庵と称する浄土系の小庵でした。
享和年間(1891~1894)以前(一説には宝永6年(1709))には観泉寺(今川2-16-1)持になっていたと考えられています。
「善福寺」と改称したのは、昭和17年(1942)のことです。
との事!😃
散歩で訪れました。
整然として心が静まる良い空間でした。
静かなお寺です。
初めて境内に伺いました。
静かで厳かな気分になれます。
この時期、入口門扉の前で立ち止まる人の様子が見てとれます。
地名の善福寺の由来となった廃寺「善福寺」にちなんで改称したものであって、こちらの寺が地名の由来となったわけではないそうです。
綺麗なお寺でした。
善福寺は町名だけだと思ってましたが、実際にあったのですね。
綺麗な近代的な外観。
私の好みとしては、侘び寂びを感じられるもう少し情緒あるお寺が良かったかな?!でも、お寺の名前だけでも、幸せになれそうです!ありがとう。
曹洞宗の檀家寺院です。
本堂の裏側が墓地になってます。
杉並区内にあるお寺。
お寺の名前と同じ、善福寺(ぜんぷくじ)という地名の住宅街にあります。
元々は違う名前の寺院(福寿庵)だったそうですが、地名の由来となった廃寺「善福寺」(善福寺公園の池のほとりにあった)にちなんで改称したそうです。
なので、こちらの寺院自体は、地名より後に「善福寺」という名称になっているようです。
住宅街にあるお寺なので、特別珍しいものはなく、観光で訪れるようなお寺ではないのですが、綺麗に手入れされ、春は桜がとても綺麗に咲いています。
桜が咲いている時期は、散歩がてら立ち寄る人を多く見かけます。
お寺の裏は墓地になっています。
曹洞宗のお寺。
特に見るものはなく、新しい?
桜が素晴らしい。
7/4 には多くの僧侶を集めて施食会、7/13 には合同盆供養が営まれる。
二度訪れましたが不在でした。
御朱印はもらえるようですが、この寺があっての善福寺じゃなくて善福寺の名前のある所にできたんですね。
曹洞宗の寺院で静かな環境の境内です。
綺麗に清掃が行き届いて落ち着いた雰囲気でした。
何時も掃除してくれてるのでお墓も綺麗にしたくなる。
このお寺を目にした瞬間、白くて綺麗という印象を持ちます。
解説板によると、福寿山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来立像。
開山は御堂阿闍梨と伝えられ、中興開山は月山機法であるとの事。
古くは無量山福寿庵という浄土系の松庵でしたが、江戸時代、享和年間もしくは宝永年間以前には同じ杉並区の観泉寺持になっていたと考えられています。
本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作です。
このお寺の善福寺がこの辺の地名の由来になるのかと思っていたのですが、違うようで元の善福寺は江戸時代に善福寺池のほとりにあったお寺が地震による災害にあい、廃寺となってしまいました。
でも善福寺という地名がずっと残ったので現在のこちらのお寺が地名に合わせて昭和17年(1942年)に善福寺と改名しました。
桜の綺麗な境内です。
垂れ桜は遅咲きです。
白くきれいなお寺さんです。
善福寺と改称したのは昭和十七年(1942年)のことだそうです。
近代的なコンクリート作りのがっしりとした佇まいです。
曹洞宗 福寿山 善福寺。
本尊は室町時代の作と言われる、美しい阿弥陀如来立像。
開山は御堂阿闍梨と伝えられ、中興開山は月山機法。
昔、無量山福寿庵と称する浄土系の小庵で、宝永六年(1709)に観泉寺(今川2-16-1)持となったと言われる。
また、昔、池の畔に「善福寺」という寺院があったと言われるが、この「善福寺」との直接の関係については、明確な資料はないが、小庵から引きついでいると言う机に「文化十二年・・・無量山善福寺福寿庵」とあると言うころから、「善福寺」という名が代々伝わっているものとも思われる、とされているようだ。
閑静な住宅地にある寺で、鷹が乗る珍しい石灯篭が、境内にある。
特別な時期(盆正月など)以外は、本堂の扉は、閉まっているようだ。
合掌。
静か住宅街の中に。
名前 |
善福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3399-3936 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
納骨式で伺いました!杉並区であれだけの敷地立派なお寺で住職さんの講話故人を偲ぶ言葉気持ち良く帰郷出来ました!