鎌倉時代に源頼朝に仕えた長沼五郎宗政の城。
三沢川沿いにひっそりと石碑がありました。
高幡不動尊金剛寺に行くとき、よくロードバイクで通り過ぎて気づかずにいました。
ここにも近代化によって歴史が埋もれてました。
橋の北側に石碑が建っています。
石碑がある、と、云うだけ。
何もないよりまし、と、云うだけ。
この場で思いを馳せるには心もとないかも。
小さな川と道路沿いに比較的あたらしい案内板のみありました。
三沢川で鯰が釣れます。
鎌倉時代に源頼朝に仕えた長沼五郎宗政の城。
偶然見つけました、石碑の文章を読むとこの地の歴史を連想する面白さがあります。
私は石碑すら見つけられませんでした。
遺構は全く残っていません。
あまりに当時の面影が消え去っているので、気をつけていないと石碑を見つけるのも難しいと思います。
源頼朝に仕えた武将長沼五郎宗政一族の館(長沼城)のあった所といわれ「新編武蔵風土記稿」また江戸時代中期建立され、明治の末年廃寺となった報恩寺の跡地でもある。
武蔵名勝図会では報恩寺について「往昔長沼二郎大夫職任という武蔵七党の内の西の党よリ出たる人、当所に住す。
」現在の稲城駅から、かつては北にのびる舌状台地があり、亀山と呼ばれていた。
名前 |
長沼城・報恩寺跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
2.8 |
稲城駅より徒歩で訪問しました。
城の遺構は見当たりませんでしたが、歩道と川の間に石碑があります。