探題の名目で奥州仕置を目指す三代目鎌倉公方足利満兼...
1399年、探題の名目で奥州仕置を目指す三代目鎌倉公方足利満兼は次弟満直と末弟満貞を奥州へ派遣。
しかし満直は本州の三分の一を占める広ーい奥州で、玄関口である白河関からちょこっと入った程度の、末弟満貞が本拠とした岩瀬郡稲村からちょこっと北上した程度の、南奥のこんな隅っこにまでしか来れなかったらしい。
初期足利幕府内紛のとばっちり混乱が未だ収まり切らぬ、当時の奥州情勢の複雑さ・厳しさが窺い知れる。
東館稲荷神社が鎮座する小高い墳丘の様な小さな高台が館跡となっている。
神社にある石碑の由緒書には「応永6年(氏満の)第四子満貞陸奥管領として下向」とあるが、近年の福島県史研究で正しくは満直であったとされている。
さらに満直の前には「氏満弟(満直の叔父)満秀が下向」「氏満第三子(満直の次兄)満隆も下向」とあるが、コレは知らなかった。
わしがこれ迄に読んだ関連本では見かけたことが無い。
二代目公方氏満が派遣していたことになるが、はて…?。
14世紀中頃〜15世紀末の関東史に興味を抱いてから、ずーっと気になっていた史跡。
セガレとの福島浜通り被災地巡礼 u0026 うなぎドライブの途上で立ち寄り。
やっと来れたのはいいが、周辺には目印一切無し。
Google mapを頼りに行くしかない。
県道沿いの酒屋さんの駐車場にクルマを止めて徒歩でのアプローチ。
怪しいグンマーナンバーのクルマがウロウロしてすんませんでした。
鎌倉公方足利氏の一族が居館とした篠川御所跡。
名前 |
東舘稲荷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
⚠注意⚠駐車スペースはおろか 車でアクセスできる道も無いようです ので マップをたよりに徒歩での参拝となりました /追記〜県道355線南側から新幹線脇の砂利道に入ると自転車専用道路手前までに駐車出来ました。